こうして父になった
前回のnoteを見ていた人から、「その後なにも更新がないので、わるいことが起きたのかと思ってました」と言われた。すいません、みんな健康です。なので、その日のことを記録しておくことにしました。
12月4日の朝の10時過ぎ、「破水しちゃったみたい」と妻に起こされる。ギョっとしてベッドから飛び出す。当初の出産予定日よりちょうど3週、帝王切開の予定日より1週早い金曜の朝。
慌てて家を出る支度をしながら、今日1日のスケジュールを整理する。原稿の締め切りはあるけど、用事は夜に社内メンバーとの会議のみ。いつ帰ってこれるか分からないので、macとwimaxと、一応モバイルバッテリーを準備する。GoProも充電してバックに放り込む。
その間、妻は立ち尽くしたまま「なんかね〜、予感はあったんだよね〜」「そんな気がしたんだよね〜」とニコニコしながらおしゃべりをしていた。妻は妻なりに、平静を保つために必死だったんだと思う。「いいから早く病院に電話して」と思った。今もあなたの股からは水がしたたり続けていますよ。
病院に連絡すると「すぐに来い」とのことで、陣痛タクシーを手配。15分ほどで到着。このシステムはすばらしい。先に外で待っていると、妻は手に靴ベラを握りしめたまま出てきた。平常心ではない。
広尾の病院まで約30分。「ああ〜水が出ている〜」と妻。ふざけたことを言うくらいの余裕はあったらしい。
病院に行って診察。待合スペースで車椅子に乗せられ、問診票のようなものを書かされる妻。一刻を争うのかと思ってたけど、こんなのんびり書類を書くものなのか、と思った。午後に帝王切開をすることになったので、ひとりでヒマ潰しに病院を出て、周囲をお散歩。
前日、ちょうどプルーム(たばこ)のストックが切れて、もうこれで辞めるかな、と思っていたタイミングだった。30分くらい散歩しながら、落ち着かず、一箱買って吸う。もうすぐ父になる。
ものすごく天気が良くて、目に入る景色をいくつか写真に収めた。
この交差点で信号を眺めながらオニギリを食べていたら、妻から電話。羊水が減っていてそれなりに緊急なので、午後を待たずにすぐ切ることになったそう。急いで病院に戻ると、酸素マスクをした妻がベッドに寝かされて運ばれてくる。一緒にエレベーターに乗って移動。
「30分くらいで取り出します、手術は1時間くらい、そこの待合室で待っていてください」と言われたが、個室の待合室がたくさん並んでいて、「どの部屋ですか?」と聞こうと振り返ったら、すでに誰もいなかった。
仕方なく一番手前の部屋に入ると、高齢の女性が新聞を読んでいた。何もない部屋で、することもないので、原稿を少し書いた。看護婦が来て「まもなくですよ」と言われる。目の前にいた高齢の女性がニコニコしながらこちらを見た。
またしばらくして、「田島さーん、どうぞ〜」と呼ばれて行くと、保育器に入れられた、青黒い、小さな小さな生物がいた。モゾモゾ動いていたので、一応GoPROをまわす。看護婦に「妻はどうですか?」と聞くと「がんばってますよ」と言われる。「こういうとき、医者は本当に『大丈夫です』と言わないんだな」と感心した。
撮った動画を振り返ると、娘との対面は2分。コロナのせいで本来このタイミングでは会えないのに、看護婦の計らいで会わせていただいた2分。フニャァフニャァと泣いているこれが、妻のお腹に9ヶ月いたなんて、そこから飛び出してきたなんて、まったく現実味がない。まさか自分の娘だなんてぜんぜん想像がつかない。なんの実感もないのに、何度も「おめでとうございます」と言われた2分だった。
それ以上やれることもないので、歩いて恵比寿駅に行き、高級な食パンを買い、ラーメンを食べて帰宅。仕事をして、夜はリモートで会社の飲み会。そこで「子供できました」の報告もロクにしていなかった同僚一同に、「さっき生まれました」の報告。
深夜、ひとりでお酒を飲みながら、テレビを見ていた。たしか動物の何かだったと思う。それを見ながら、少しだけ号泣した。短い時間でワっと泣いて、それでシャワーを浴びて寝た。
こんな日のことも、いつか忘れてしまうのかなと思うと切なくて、娘の写真を1日1枚記録するインスタを始めようと思った。特別な日の記憶が、大切な毎日が、たとえ遠い過去になっても、ちゃんと思い出せるように。
なお、そのインスタの「2日目」は、妻が撮影できる状況になく、いきなりなんの関係もない自宅の水槽の写真になった。娘はいま何をしているんだろう、どんな顔だろう、なぜ俺は会いに行けないんだろうと思うと猛烈に腹が立ってきて、ずっとキッチンの掃除をして過ごした。ピカピカになった。退院する1週間後に備えて、アマゾンでチャイルドシートを注文し、カーシェアの予約をした。
こうして父になりました。
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