「乗りかかった船」の精神
「乗りかかった船」とは
物事を始めてしまったからには、中途でやめるわけにはいかず、最後までやりきることの例え。
「気は乗らないけども」というニュアンスも含まれるように感じます。
何事も「乗りかかった船」
何事も「乗りかかった船」的なマインドで生きているなとふと思い、認めております。
生まれた土地も、時代も、家庭も「乗りかかった船」。
通った学校、出会ったクラスメイトも先生も「乗りかかった船」。
勤め先も、同僚も、取引先も「乗りかかった船」。
厳密には自分で選んでそうなった環境もあるのですが、
いろいろなパラメーターが偶然に噛み合って生まれた答えがソレなわけで、
「乗りかかった船」の範疇じゃないかと。
前向きな「乗りかかった船」マインド
冒頭に書きましたが、「乗りかかった船」には若干のネガティブな感じが含まれているように思います。
「乗りかかった船だ、仕方ない。手伝ってやるよ。」
のような用例だと、まさしく。
ただ今語ろうとしているマインドでは、そんなニュアンスはあんまりなくて。
どちらかというと「中途でやめるわけにはいかず、最後まで」にフォーカスしているというか。
かのスヌーピー先輩は「配られたカードで勝負するしかない」という名言を残されましたがそれに近いかも。
あるいは「置かれた場所で咲きなさい」も近いかもしれない。
ある種諦念的ですが、それでいて何かを辞めようという話ではない。
勝負するしかないし、咲かないといけないのだ。
「◯◯ガチャ論」
「親ガチャ」とかが一時流行りましたが、そんなものを呪っていてもなんにもならないんですよね。
家庭や仕事や生活の様々な場面で、上手くいかなかったり、上手くいったり、やっぱり上手くいかなかったり。
ムカつくことや、傷つくこともあるでしょう。
まぁあるんですわ、私にも。
でも「乗りかかった船」はもう出港してしまっているわけで。
それがたとえ呉越同舟でも、目的地には向かわなければ降りられない。
だから悲観してないて、「乗りかかった船」だからしょうがない、最後までやってやんよ!って生きていこう、ということです。
「乗りかかった船」なんだからしょうがないよ。
誰が悪いとか、何が悪いとかではなくね。