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残穢と記憶の話


「オマエの話はなんか大体死の匂いがする!!!!」
と、正月に実家の親父に言われたのが最近のハイライト。


最近一番好きなのが小野不由美氏の「残穢」
映画も見ましたが原作の方が好き。このなんとも言えぬゾッとする感じがたまりませぬ。

ホラー系に関してはどちらかと言うと「姿の見えないモノに対する恐怖」というのが好み。リングとかは割と恐怖の対象が確立されてるし。

それはともかく。

残穢を何度か読んでから、自分の子供の頃にあったある事件を思い出して背筋が寒くなった話でも。

まだ平成一桁の完全週休2日制が導入される前の頃、当時小学校低学年だったある日の授業中、学校前に無数の緊急車両のサイレンが鳴り響きまして。

当時の母校はちょっと特殊な立地にあったので、校舎と校庭が離れた場所にありました。

鳴り響くサイレンに、当時の低学年の児童は何事かと教室から飛び出して行こうとするわけです。しかも当時は教室が1階にあったので。(今は防犯上の理由で1階に教室ってない気がする)

しかし教諭たちが血相を変えて教室に児童を戻し、誰も外に出ることはなかった覚えがあります。

そして翌日新聞を読んだ祖母(件のクソババア)に、

校庭で近所の住人が焼身自殺を図った

と教えられました。
そんな内容子供に伝えんな。と今なら思うが当時そんなこと誰も気にしない。

まあ、なんちゅー傍迷惑な話やなー。と最近まで思っていたんですが、残穢を読んだ後にちょっとあることに気付きまして。

そもそも、自殺する上で焼身自殺って第一選択にはならないのではなかろうか。オーソドックスなのは飛び降りか服毒か首吊り。

焼身自殺って結構苦痛が伴うので選択肢としては微妙なところ。
見た目のインパクト的にも昔から何らかの抗議の手段として用いられることが多いような。

さて、当時起こったこの話。ポイントは
①方法:焼身自殺
②場所:小学校の校庭
③時間:学校の授業時間

しかも教室の配置的に校庭に面している学年もあったので、人が燃えてるのは見えたはず。 

と、いうことは。もしや、

社会や子供達に対しての何らかの抗議ないし主張等のメッセージ性をもった自殺だったのでは…

という結論に達し、今更ながら背筋が凍った。

ちなみにお祓いなどを執り行ったかは定かではないものの、その後普通にこの校庭は現在でも使われているし、特に事故などは発生していないようである。

なお、当時を知らない友人の知人はこの校庭の近くを通ると異常に怯えるという話を後に聞いた。