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漫画「ひゃくえむ。」(作:魚豊)を読んだ。20250205
「チ。-地球の運動について」に痺れ、「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」に驚いた身として、「ひゃくえむ。」も読まなければと思っていたところ、書店で新装版を見つけたので購入した。「ジョウ」と「ゲ」の2冊。まだ読んだのは1冊だけだ。
ただそれだけで、「ひゃくえむ。」には、魚豊先生の描く漫画の面白さと作家世が満ち満ちているのがわかった。
生まれつき、足が速かった。他には何も持っていなかったが、速く走ることだけでよかった。それは「学校での居場所」を生み、「友達をつなぐ橋」となった。それだけが、少年の全てだった。そんな彼が出会ったのは、辛いことを忘れるために走っている少年。彼は決して速くはないが、熱を持っていた。その熱に当てられて、次第に興奮を知っていく。しかし、それは「異常」の始まりだった。「100m」は全てを狂わせるのだ――。
大ゴマ、級数が大きいセリフ、見得をきるシーン。これらを連発すると、漫画が当たり前になった現代では"ギャグ”ととられかねない。一方「ひゃくえむ。」ではそういった演出が多発するのだが、すべてカッコいいままである。
構成、テンポ、キャラの演技、キャラクター性が確立されているからこそだろう。
「100m速く走れればすべてが解決する」。考えてみればまさにそうだ。極端な例だが、ウサインボルトは、“それだけ”で世界中から知られるスーパースターになった。
スポーツは数多あれど、ここまでシンプルな価値観で優劣が決まるものはそうないのではなかろうか。
ふと、中学生の頃を思い出す。体育祭のリレーの走順を決める記録会。私としてもまさかの展開だったが、クラスの男子で一番50m走が遅かった。とにかく恥ずかしくて、小さなプライドを守るために、本番もテレンコテレンコ走り、親に怒られた記憶がある。
才能の"枯れ”について描かれているのも新鮮だった。あの頃、私の前を走っていた10数人のクラスメイトたちは、今何をしているだろうか。30歳を過ぎ、いい感じに才能が枯れて腹も出て、今走ったら横並びになっていると、当時の私も救われるのだが。
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関口大起
集英社オンライン、@DIME、ENCOUNT、Mac Fan PortalなどのWebメディア、雑誌、企業向けの会報誌などで編集・取材・執筆をしています。お仕事のご依頼は「ttt.write.0119@gmail.com」まで。漫画家さんやクリエイターさんへの取材、製品や作品のレビューなど、ご連絡お待ちしております。いつか「このマンガがすごい!」の選者になるのが夢です。