子どもの頃見てた大人って今の自分よりもっと大人だった気がする

たしかあれは科学センターでの出来事だったと思う。

京都青少年科学センター

別に家の近所でもないし、特段好きでもなかったのだけれど、小学生の頃に両親がよく連れて行ってくれた。
プラネタリウムを見ると言ったらここだったし、入ってすぐに大きく佇む喋る恐竜は初めて見た頃はとても怖かった思い出がある。

幼稚園の頃に初めて行った時はこの恐竜のことをひどく怖がっていたらしく、私はここに連れて来られるたび父親にバカにされるのが嫌だった。

なんかそれっぽく、わかってるような顔で見て回ってはいたが、今ではそれほど覚えてないことを鑑みると難しい内容だったのか興味がなかったのか、あるいは両方か。

実験コーナーのようなものもあって。
イメージとしては水族館でいうイルカのショーのようなものである。
唯一覚えているのは、液体窒素にバラの花びらやゴルフボールなんかを放り込んでパリパリにするような実験を生で見たことぐらいである。あれは実際やりたくなったし、やりたい子を募ってもいたが、手を挙げて前に出ていくような性格でもなかったので後ろの方で羨ましげに見ていた。

それでも、さほど科学方面に興味を示さなかったのは両親にとってらは誤算だったのかもしれない。

冒頭の思い出、あれは小学3年生ぐらいの頃だったか。
私と母と弟、それに友だちと彼の母と妹、たしかこの6人で科学センターに赴いたことがある。

いや、おっちゃん、もしその時おったらごめん。

友人、彼をY君と呼ぶことにする。
Y君は、科学センターの一角にあった「地震体験ができる設備」に興味を持って、私と2人でそれをしようと言い出した。
正確に言うと弟たちはまだ小さかったこともあり、母たちは我々2人でそれをするよう促した。
そして、2階に母たちを残し1階のその設備に向かう。階段を降りながら、正直私は怖かったのだが、小学生男児など強がってなんぼみたいなところはある。精一杯強がった。本当は引き返したかった。

着いたところは設備というか部屋というか、こぢんまりとした小さな部屋だった。
言うなれば飛行機の操縦席のようなイメージである。
いやまぁ、私も実物を見たことはないのだが。

その部屋の前に注意書きが貼られていた。

「小学4年生以下のお子様は大人の方と一緒にお入りください」

たしかこんな感じ。正確な年齢までは覚えてはいないが、少なくとも我々2人では中に入れないということを告げられた。

私は内心ほっとした。

「いやぁ、残念、やめとこっか」

そう話す私の顔はセリフと裏腹に輝いていただろう。

ただ、Y君は違った。
私の言葉なんて聞かずに、いや、聞いた上で、それでも乗ろうとした。

「大人の人と一緒やったらいいんやん」

まぁ確かにそうなのだが。
Y君は通りすがりのお父さんに声をかけた。
同い年か、あるいはもう少し年下ぐらいの女の子を連れたお父さんだった。おじさんと呼ぶにはまだ若く、カッコよく見えた。

「これに乗りたいんやけれども、大人が一緒じゃないと乗れないので一緒に乗ってください。」

そう話す2人の頼みを無碍にしなかったあのお父さんは

「ちょっと待っててくれる?」

と娘さんに許可をとり、一緒に乗ってくれた。
機械の操作なんかをしてくれたそのお父さんに

「震度どうする?選べるみたいやけど」

と聞かれたY君は

「1番揺れるやつ!」

と即答していた。

「うん!それでお願いします。」

と私も続けた。
「真ん中ぐらいにしとこ」って本当は言いたかったのは内緒だ。
赤いランプが点灯し、大きく揺れた。
ZARDだってびっくりするくらいの揺れる思いを体験した。
怖い中必死で揺れに耐えていた私を気にかけてくれたあの時のお父さんには感謝している。
名前も知らないし、今あってもわからないだろう。
部屋を出て
「ありがとうございました」

と一緒に頭を下げた私たちに一瞥をくれ、娘さんと帰って行ったその人の後ろ姿を今でもぼんやりと覚えている。

私の中で1つのカッコいい大人像はあの時のお父さん。
そして、見ず知らずの大人に声をかけたY君の勇気もカッコいいなと思った。

京都に帰る道すがら、大人になった私は、かっこいい大人にはまだなれてはいないのだが、そんなことを思い出す。

少しはあの頃の臆病は治りましたか?
勇気は持ち合わせていますか?

そう自問自答してみる。

いいえ私はビビリです。

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