I am a Japanese
前回初めてnoteの有料設定やってみたものの、なんか設定自体は簡単やけどワンクッション挟むのめんどくさいし、そもそも読んでもらえればそれで嬉しいし、というかお金もらえるようなこと書いてないし、やめます。
そらね、有名人とか人気者が発信する何かには需要があるんでしょうけども、私なんて所詮1年目の麻雀プロよ?
うん、2年目か。
こんなんどこにも需要なんかないんやからね、むしろ読んでもらってありがとうでござんすよ。
てなわけで、有料noteじゃなくて優良noteを目指しますよ。有料サイトじゃなくて優良斉藤でありたい訳ですよ。
暇つぶしに使ってやってください、このご時世スマホ1つあればなんなりと時間潰せる中で、私のnoteが選ばれたらそれは大変光栄なことなんで。
Twitterの方でも少し書いたけれども、私がnoteを知ったのは、浅見さんのこの記事から。
たしかドリブンズにドラフト指名された前後くらいでこのnoteを知って、描写の上手さと話の構成の巧みさに惹かれた記憶がある。
それと同時にnoteという媒体を知った。
私もこんな風に物が書けるといいなぁと思いつつ、やはりそううまくもいかない。
まぁ話が長いだのだらだらしてるだの、喫煙中に読むには途中で分断して読まなきゃだのって言われる現状というか惨状というかが出来上がっているのである。
私は基本的に「話を振って振って振って、丁寧に振って最後に落とす」
“伏線回収”カッコよく言えばこうなのだが、言いたいことを順番に言ってるだけである。
話が長い、説明が冗長、自覚症状はあるので、これもひとつの「味」だと思っていただけると大変ありがたい。
苦味もご愛嬌と。
私がnoteを書こうと思い立つのは基本的にネット麻雀の合間である。
雀魂とかで1半荘打つ→ちょっと休憩→
前半荘の牌譜を確認&1半荘打つ→ちょっと休憩
私の日常なんてこんな具合だ。
家の中でダラダラ、うだうだして過ごす私に麻雀以外の趣味はない。
2.3年前には「ちょっと休憩」の時間がほとんどなく、五月雨式に打ち続けていたのだが、今ではそうはいかなくなった。いかんせん疲れる。
1日10半荘は余裕だったが、今ではせいぜい5半荘打てればいい方だ。
そして、今顕著に長くなった「ちょっと休憩」の時間にやることがnoteを書くことだ。それもラスが混んでいる時に多いから、気分転換とか、ストレス発散に近い。
noteの更新頻度が上がれば、成績が悪いと判断してもらえればいいだろう。
あと私は強制感が嫌いだから、パッとした思いつきでテーマを決める。
「書かなければ」みたいな思いになったらそのうち嫌になるのは目に見えている。
書きたいときに書きたいことを書く、もう落書き感覚である。
気分とかこの前あったこと、とかがきっかけになるため、時事ネタとか季節感とか関係ない。
言ってしまえば今から桜の思い出とか夏の日の夕暮れだって書けるポテンシャルを持ってはいる。気分による訳だから流石にやらないだろうが。
麻雀についてほとんど触れないのは、私よりもっと強い人とか有名な人とか、結果を残している人がいるのに、こんなペーペーが書くのは烏滸がましいという謎のプライドを持ち合わせているため、あんまり書きたくないというのが正直なところである。
麻雀のことを珍しく頑張って書いたのが協会noteに載ってるし、そういう麻雀にマジメ系はこれからも気が向いたら寄稿する予定なので、読んでもらえると幸いである。
(あまり大きい声では言えないけれども、私の記事を有料にするつもりはないので、わざわざ購入して頂かなくてもいいです)
その代わりに❤️マーク押して頂けるともう、それだけで嬉しいです。
中学時代に塾で「小論文対策」というのをやらされた思い出がある。2年生のころだったか。
京都の公立高校は入試問題に小論文がセットのところが多いのが原因だった気がする。そしてテーマが難しいというかややこしいからまぁめんどくさい。
クラスで1番最後まで残って書いていたのが私だった。
「とりあえず何か書け」
この注文ほどやりにくいことはない。
なんかテーマちょうだい、それもカッコつけなくていい哲学的選択肢のあるやつ。
「〇〇に対して肯定ですか?否定ですか?」
っていうやつ。これはもうそれなりに適当なそれっぽいことを書けばいいと私は学習している。
それっぽいことを書くのには自信がある。
ただ、
「あなたが先生に言われた言葉で印象に残ってるものはなんですか?」
ってそんなものないのよ。ないもの書けは難しいのよ。
「晩ご飯何食べたい?」
と聞いてきた母親に
「別になんでもいい」
しょっちゅうそう答えたことを懺悔したくなるほどに難しい。
ちなみに今ハンバーグとエビフライが食べたいです。あとギョウザも。
それが一転、ある時からテーマが明確になり、スラスラ書けるようになったのを思い出す。
書き始めたらノンストップで書き上げられる私は見違えただろう。今でも最初の温度感で書けるように、なるべく短時間で書き上げることを意識している。
「何を書きたかったか」を意識しながら文章をまとめるより、「今何を書きたいか」に忠実に従う方が楽だからだ。
大学時代はコロナ禍で、レポート課題に明け暮れた。自称時速1000字で、周りから羨ましがられるほどにはレポート課題を苦にしなかった。
下のnoteは、その大学時代に、1番自信を持って提出したレポートの改訂版である。
約1000字のレポートを、オンライン講義が終わり、お米を研いで炊飯器のスイッチをつけ、Twitterなんかをうだうだ眺めつつ、レポートに取り掛かり、書き終わったのと同時にご飯が炊き終わった。
あの「ピーピー」というなのブザービートは心地よかった。
中身は伴っていないのも含めるとコントロールの悪い速球派、みたいなイメージでいい。
ノビがあるというより、オチないだけなのが玉に瑕ではある。
こういう表現は今の時代にそぐわないのかもしれないが、あえて使う。
私は日本人だから、日本人らしい価値観を大切にしたいと思っている。
夜に輝く月がキレイだとか、道端に咲く花がキレイだとか。傘を弾く雨音、肌に触れる夜風、そんなものに気づいて風情を感じられる大人でありたいなと。
せっかく日本人やってるんだから、信号待ちの時ふと月を見上げて、その情緒を感じる余裕を持っていたいなと。
昨日の朝の6時ごろ、ふと目が覚め、窓の外を覗くと正面に満月が輝いていた。
私はどちらかというと満月より、ちょっと欠けた三日月ぐらいの方が好き、満月を100%としたときには、裏ドラ率ぐらいの月が1番好きだ。
私の今年の裏ドラ率を調べたら21%だった。
うーん、まぁちょうどいいだろう…
早起きするのもそう悪くはない。
そんなことを思いながら二度寝した。
月を見上げるのが好き、そう話したら、
「意外とロマンチスト」なんて言われたこともあった気がするが、せっかくならロマンに生きてみたいと思ったりもする。ルパン三世とか好きやし。その割にはリアリストだとも思いもする。
自分のことを1番知っているのはやはり自分だ。
私が好きな日本語は、「素敵」と「大好き」である。
「素敵」という日本語が持つ素敵感が私は好きである。たぶん伝わらないのが残念だ。
「それいいやん」
というより
「それ素敵やな」
という方が言われた側嬉しくない?って。
人というのは自信がなくなってくると、表現が抽象的でふわふわしてくるものなのだろう。
それに付随して、思いの外「素敵」という日本語と関西弁の相性がよくなかったことは誤算だった。
大好きというのも同様の理由である。
これもまたふわふわしそうだから省略する。
なんとも自己紹介チックというか、中間発表のような内容になってしまった。
思ってた着地と違うがまぁ、これはこれでいいだろう。
てなわけで、これからも書きたいことを書きたいようにふわふわした表現で書いていくかもしれません。
モチベが無くなればやらなくなるでしょう。
私は基本的に言葉遊びが好きなので、そういう表現を楽しんでもらえると嬉しかったりします。
私は子どもの頃からツッコミ役に回ることが多かったのもあって、ボケたがりです、ツッコミを入れてもらえると喜びます。
ちなみに、私が書いたこの協会noteで1番言って欲しかったのは
「いやお前、その書き方やったらチーズ、名犬じゃなくて名剣みたいやんけ」
です。
知り合いに話したら
「言われてみたらそうやし、ちょっと違和感はあったけど、別にそこまでちゃんと読んでないし」
と一蹴されました。世の中って世知辛い。
もうこのnoteだけでわかるように、書きたいことを羅列してるだけの私の思考の垂れ流しです。
そんなに読んでもいいことはないです。
ただ細かいところに気を配りながら頑張って書いてるので、気が向いたら高評価でも押してあげてください、モチベになります。
よかったら私のモチベが尽きるか、読者の皆様が飽きるまでお付き合いください。
ではまた、どこかで。