見出し画像

大原野神社

またの名を友人Tの家。

小さい頃からことあるごとに向かった神社で、秋にはお祭り、春にもお祭り?があり、初詣と言えばやってくる。
間違いなく私の人生で1番通った神社だし、おそらくこの先その事実が覆ることもないだろう。

友人Tとはいつから仲がよかったのだろう。幼稚園も一緒だったが、なかなか絡みもなかった。

小学校時代だって2クラス、学年40人、毎年クラス替え、その条件下において同じクラスになったのは小学5年生の時だけだった。

ただ、やはりそんな少人数のコミュニティだと、友だちの友だちは友だちだった。一緒にドッジボールをしたりなんやかんや。いつの間にか友人だった。
彼は勉強はできたし、運動もできたし、明るく楽しい奴で、友だち思いで気遣いもできたし、欠点なんてまるでなかった。

そんな奴が近くにいたから私はこんなに捻くれたんだ。
うん、私の性格に比べたらみんな素晴らしい。

小学5年生か6年生ごろから、大原野神社が私たちの遊び場の1つになった。いや、他の同級生の間では元からそうだったのかもしれない。
控えめな私はいつだって誘われるのを待つ方だ。
広くて立派な遊び場がついている彼の家に、大所帯で押し寄せたが、おばちゃんは1つも嫌な顔を見せなかった。ありがたい限りである。

初めてTの家に遊びに行った時のことは今でもはっきり覚えている。
神社に遊びに行くのだからとピンクの貯金箱からお賽銭を持って行き、お参りしてからインターホンを鳴らした。

「何かいいことがありますように」

その思いと一緒に10円玉を投げ入れた。

皆が集まった後、外に出て何をする?
の問いに一言、野球をしようと返した奴がいてそう決まった。

野球といえばあの土俵の周りらしく、そこに集まった。今でこそ野球好きと化した私だが、当時野球のルールなんてろくに知らない。
言われるがままについていった。


いつのまにかバットを握っていた私は思い切り振り切った。内野とも外野とも言えない守備連中のさらに後ろにボールが着地し、しばらくして

「ホームラン」

の一言を誰かが言った。言われるがままに即席ダイヤモンドを駆け回った私の、人生最初のホームランだった。

申し訳ないが、私は決して神様至上主義ではない。むしろ、まるで神様なんて信用していないし、信仰してもいない。
ただ、あのラッキーホームランを思い出すたびに、その自分の信仰心が少し揺らぐのもまた事実である。

この土俵と言えば、もう1つエピソードがある。
小学4年生の時だ。私は秋のお祭りの時に、相撲大会に出ることになった。出ることになってしまった。

私の通った小学校には土俵があった。そして昔は相撲部が強かったとか父親に聞いたことがあったような気もする。なかった気もする。
当時も相撲部があっただろう。水曜日の放課後が活動日だった気がする。そしてたしか先述の友人Tも相撲部だった。気がする。間違ってたらごめんね友人Tよ。

この大原野神社に祀られている神様が相撲が好きだった。そんな理由だったと思う。

小学4年生から6年生、そこを対象にした相撲大会をメインイベントにしたものが、秋のお祭りの正体だった。
私の通った大原野小学校だけでなく、3.4つぐらいの小学校から参加者を集めた相撲大会だった。

開催が私の誕生日周辺だから、だいたい9月の第一とか第二日曜日くらい。

そんな事情も相まって、夏休み明けすぐに相撲部の顧問の先生が、昼休み、給食を食べてくると突然私のクラスに現れた。

クラスの男子の前に立ち、

「相撲大会に出ないか?」

右手の平をこちらに向け、給食を頬張っている様子なんて見えていないかのごとく順番に声をかけてくる。

「こっちには来ないでくれ」

そう思う私の思いを儚げに踏み潰し、やはり来てしまった。
私だって本当は出たくない。だから何度か柔げに断った。ただ、控えめで軟弱な私が先生に向けて最後に発した返答は

「はい、頑張ります」

だった。
嫌なことは嫌と素直に言える奴が心底羨ましい。
そう思ったことは何度もあるが、あれほどまでに憎らしく思ったことはない。

その日から、相撲の練習が始まった。
グラウンドの端にある土俵に昼休みなり放課後なり集められ、相撲部に混じって参加する。
元から相撲部のやつ、誘われてその気になったやつ、断れなかったやつ、様々だ。

「右も左もわからないのになんか勝手に始まってる。もう早く帰ってゲームしたい」

そんなことを思いながら練習に付き合った。

家族に話したら見にくるなんて言ってる。
来なくていいのに。
どうせ練習の時からろくに勝ててないんだから結果なんてわかってる。
来なくていい。

そう、私はいつだって卑屈だ。
当時の私に楽しいなんて感情はなかった気がする。

迎えた当日の朝、行きたくもない神社に向かい、友人を見つける。一緒に張り出されていたトーナメント表を見に行った。
そこで私は1つの勘違いに気づく。

「個人戦トーナメントの出場者、私の友だちばっかりやん」

何のことかを詳しく説明すると、この相撲大会。出場者は小学生なのだが、他の学校からやってくるのは5年生と6年生だけ。
言ってしまえば4年生の部は「大原野小学校のための大会」だったのである。

「4回勝ち上がれば優勝できる」ぐらいの出場者だった。
かと言ってやる気が出るかと言うとそうでもない。
初戦の相手は練習から一度も勝てたことがないKだった。

褌を締めてくれるテントの前で順番に並び、おばちゃんたちに締めてもらう。
前座の赤ちゃん相撲を見ながらその時を待つ。
泣いてる赤ちゃんに飽き飽きし、逆剥けをいじってたら血が止まらなくなり、周りから心配されたっけ。恥ずかしい。

いよいよトーナメントが始まるから、そこそこのやる気と諦めの気持ちを持ちながらもやる時はしっかりやる。
行事の合図とともにぶつかって、始まったそれは、私史上に残る長時間の大一番となった。

押しつ押されつ、なかなか決着がつかない。
身長自体は私の方がだいぶ高かったが、Kだってなかなかの力の持ち主だ。

最後は私が必死の形相で勝ち、2回戦進出を決めた。
大金星だった。あれは30秒は優に超えていたと思う。周りから見ている分にはそうでもなかったかもしれないが、やってる本人はいつだって真剣だった。

そのまま勝ち上がった私は、準決勝まで勝ち上がった。そこで敗れて決勝進出はならず。負けた相手はあのTだったような気がする。それでも私にとっては上々の結果だ。

決勝戦の前の3位決定戦に勝った私は入賞した。
Tは2位になっていたし、もう1人の相撲部の仲が良かった友だちが優勝していた。周りから見れば上2人の顔ぶれは予想通りだっただろう。
3位のやつだけがダークホース、かくいう私だって驚きだった。

当時もらった副賞の文房具セットは今でも活躍している。
中学校、高校、大学、社会人になった今も使っている蛍光ペンはあの時もらったものだ。

なんともまぁ意外な形で決着した私の相撲デビューは、そのまま幕を閉じた。他にも1つ大会に出たのだが、あっさり負けた。
だからあの日勝てた私って、思いの外勝負強いのかもしれないと思わせた1日であった。

相撲から解放された私は、そんなに相撲が好きではないことに気づく。痛いの嫌いだし。

ここからは後日談なのだが、先生に目をつけられてしまった私は、5年生、6年生の時にはあの時以上に強い勧誘を受けることになった。
3位になるポテンシャルを持っていると思われるのも無理はない。
ただ、あれがまぐれだと知っている私は、強い気持ちを持って断ることができた。
相撲が与えてくれた強さのおかげなのだろうか。

いや、そんなわけないか。

私の中でパワースポットになってそうなこの大原野神社だが、決してそうではない。

それでも高校生の頃には1年ほど、ほぼ毎日通っては10円玉を投げ入れる、という生活をしていた。

健康診断で肥満と言われてしまったから仕方なかった。ランニングコースの中に神社を組み込んだ、それだけだった。

何度でも言うが、私は信心深い訳ではない。ただ、神社に行けばお参りくらいする。そんな程度である。
お参りする時心に思うことなんてただ1つだけである。無茶なお願いはしない、叶えてくれるなら話は違うが、別にそうではない。

私は拝殿を前にして、神様と相対しているのではなく、自分の内面と向き合っているような、そんな心持ちでいる。何かを欲するのではなく、そのための努力を自分に誓うような、そんな気持ち。

「本当の願いはいつか自分で叶えるから」

七夜の願い星のラストにハルカが発するこの一言が全てを表しているような気もする。
別にカッコつける気もないし、努力なんていう言葉も私は嫌いである。


なぜこんなことを急に書いたかと言うと、さっきまた神社に行ってきたからである。

失礼ながら、5年ほど前まで足繁く通っていた時とは比べ物にならないくらい人がいた。
今年の大河ドラマ?の影響らしく紫式部ゆかりの地ということで人が訪れているらしい。

らしいというのはおばちゃんに聞いたからである。

Tと最後に顔を合わせたのはもう10年ほど前になるか。何度か神社に顔は出しているが、なかなかタイミングが合わない。

彼は中学受験に合格して中学校が別れてしまった。一緒に塾に通って、一緒に送り迎えしてもらって、仲良くやってた。おばちゃんとも当然仲がよかった。
彼は私の3つ下の弟とも仲良くやってたし、私も彼の2つ下の妹ちゃんともそれなりに仲が良かった。

たびたび社務所だったりに顔を出しておばちゃんにお土産だったり野菜だったりを持っていってた。

「てつやです」

忙しいだろうにそう話す私に決して嫌な顔をせずに迎えてくれる。

「おっきくなったなぁ、大人になったなぁ」

そう言ってくれる安心感もある。
そう、いつのまにか大人になってしまった。

今日顔を出したのは1年とちょっとぶりだろうか、京都に帰るのがそれくらいぶりだから間違いなくそうなのだが。

インターホンを鳴らしても応答がなかったから、社務所に顔を出すと、バイトと思われる若い女性がお客さん3人の相手をしていた。

「斉藤と申します、ここのご家族の方今日はいらっしゃいませんか?
そうですか。
斉藤哲陽というものです、どうぞよろしくお伝えください」

こんな感じでいいかな?と胸の中で何度か唱える。
もう1人お客さんがいらしたところで、タイミングを見て、後ろに行ったその女性を見て

「ヘルプ呼びに行った?おばちゃん登場かな?」

私は案外察しがいい。案の定である。

「おばちゃんおるんかい」

そんなことを思っている間にいつのまにか順番を抜かされていた。
うん、確かに並んでる風ではなかったから…

「次の方どうぞ」

ごく稀にしか顔を出さない私に気づく素振りもなかった。
そう言ってもらったから私は

「どうもてつやです」

なんて言いながら近づいていく。
その一言で察してもらい、驚かれる。


「えらい大人になったなぁ、てっちゃんやって」

いつものやりとりを交わした後隣の女性に話しかけたところで私は違和感を覚える。

そう、その隣にいらした女性は約10年ぶりに会うTの妹ちゃんだった。

「えらい、大人になったなぁ」

咄嗟に私の口を吐いたその言葉は、驚きに溢れていた。せやんなぁ、もう22歳やもんなぁ。早いなぁ。

初めは落とし物で来たのかなと思われたこと。小学校時代の担任の久保田先生が最近来たこと、そんな世間話をいくらかして、麻雀プロになったことを伝える。
おみくじぐらい引けば良かったのだが、お賽銭に入れる10円しか用意していなかった。

まだまだ私は大したものじゃない。しっかりせねば。Tだって頑張ってる。
そんなことを思いながら社務所を後にする。

「また来ます」


神社の様相は変わっており、遊びまわった林はきれいに整備され、駐車場になっていた。
追いかけっこの一番地だった茂みもキレイになっていた。

紅葉か桜が有名で、そういや報道ステーションで取材されたこともあったっけ?なんて思い出しながら、思い出の場所を後にする。

また来ます。
そう心の中でつぶやきながら。

今日もまた10円を投げた拝殿の前で私は礼をする。

「最終節100勝たせてください」

そんな贅沢を言っても無茶言うなと言われるだけである。
自分の昇級は自分で決めるから。
しっかり勝ってきますよ。
私が祈ることなんていつも1つである。

「私の周りの大切な人たちの笑顔が1つ増えていますように」

いつものようにそうお参りして後にする。

次帰ってくる時には、もう少し立派な大人になっていられているように。

いいなと思ったら応援しよう!