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メール職人回想録

私はラジオが好きだった。いや、きっと今でも好きなんだろう。が、数年ほど前からあまり聞かなくなってしまった。好きだった番組がほとんど終わってしまい、今ではTBSラジオの「安住紳一郎の日曜天国」ぐらいのものか。しかし社会人になってからは、仕事や対局なんかも相まってほとんど聞けなくなってしまった。
ただ、大学時代放送サークルに入ったのは間違いなくこの経緯があるからだ。

前回の自己紹介でも述べたが、私はメール職人だった。主にABCラジオに出没し、様々なノベルティを送ってもらった。主に3つのラジオネームを駆使していた、あまり使わなかったのも含めると6か7種類だと思われる。そのためノベルティの宛名書きも様々である。私がラジオネームを複数個利用していたのは、1つのポリシーがあった。「同じテーマ、同じ内容を複数の番組に送らないこと。」である。実際にやっている人もいるし私もヘビーリスナーをやっていると気づく。「あれ、これ前も聞いたな」と。それを悪だと言うつもりは毛頭ないが、リスナーの一意見としては気持ちが冷めるのである。だからこそ、複数のラジオネームを用いて、なるべく同一人物が各番組にメールを送っていると悟られないようにしていた。今考えればそんなことは自己満足にしかすぎず大して意味もない行為なのだが、中学生の私はまだまだ幼かった。

私が初めてラジオに触れたのは、父親が運転する車の中だろうか。実家の農業を手伝うため、バンや軽トラに乗せられ農協や畑や竹藪や、色んなところに連れて行かれ、手伝いをした。その車内ではいつもKBS京都が流れていた。中学時代通っていた学習塾の送り迎えもそうだった。ほっかほかラジオのイベントに家族で行ったこともあったっけ。
そんな小学生時代を過ごし、野球が好きになった私は、テレビ中継だけでなく、もっと色んな試合を見たい、そう思いラジオを手繰り寄せた。中学3年には携帯ラジオを買ってもらって、出向く先出向く先でABCフレッシュアップベースボールを耳にした。高校生になりスマホを手に入れると真っ先にradikoのアプリを入れ、エリアフリーでファイターズ戦を耳にする機会を得た。

話は戻り、私がメール職人をやっていたのはこの携帯ラジオを手に入れてから、高校を卒業するまでの期間である。2015年から2018年、私の主戦場だった。「ハガキ職人・メール職人は面白い人が多い」という言説がよくある。かくいう私も支持者の1人である。リスナーのメールが面白い番組はやっぱり面白い、そして競争率も高い。ただ一つ残念なことは私はそんなに面白い人間ではないという点である。ここまで読んで頂いた方はとっくに想像が付いていると思うが、念の為書かせてもらう。この先あまり面白い文章は待っていない。

前回の自己紹介の付録というか、付随というか、付け足しというか、みたいな文章になればいいなと思ってはいるが、かなり自己満足に寄ってしまいそうである。やめるなら今のうちですよ。


私の3つのラジオネームの中で、1番普段使いしていたのは「プリンチップ」というラジオネームである。「あら、見た目に違わず可愛いラジオネームじゃない」なんて思われるかもしれない。由来はサラエボ事件の主犯の青年から取ったものである。ただエピソードが好きだった。なんとなく語感が気に入ったので採用した私に取って3番目のラジオネームだった。(全く可愛くない理由である)

Cheers!

私が1番好きだった音楽番組である。日曜日の夕方6時から9時までやっていた番組で、毎週欠かさず聞いていた。私が今、それなりに幅広い知識を持っているのも、「レキシ」が好きなのも、カレーに詳しくなったのもこの番組の影響である。(ちなみにもらったノベルティはサイン色紙とプラ板)

たしか酉年だから鳥のプラ板プレゼントの時だったと思う。
パーソナリティはたつをさん、小塚舞子さん、浜端ヨウヘイさんの3人。初めてメールを送ったのは中3の冬休みごろだったかと記憶している。大して面白いメールを送れていた記憶はないが、毎週欠かさず送り、読まれるかな、どうかなとソワソワしながら晩ご飯を食べていた記憶は今でも残っている。

これは私の感性であるが、メールを送ることはさほど緊張しない。ただ、メールコーナーに突入した瞬間、「読まれるかな、名前呼ばれるかな、どんな反応されるかな?」という緊張感が全身を走り、ソワソワするため、聞いた瞬間即メールとはならず、番組の傾向や、これから楽しめそうかなんかを見極めてからメールを送るのがプリンチップ流である。

そんな中で、Cheers内でプリンチップという名前は頻繁に呼んでもらえていた。2019年の3月に番組が終わるのだが、その直前にラジオ祭りというイベントがあり、初めてパーソナリティの3人と直接話すことが出来た。その際しっかり認知されており、名乗った瞬間喜んでもらえた。写真も撮ってもらっていい日だった。雨の中高校の卒業式の前日に出向いてよかったなと今でも思っている。

私はメール職人である。と胸を張って言えるとは思っていない。便宜上この言葉を使ってしまうし、側から見ればそうなのかもしれないが、面白いメールやユーモア溢れるメールを送るもっとすごい人たちを知っている。私はそこに到底並んでいるとは思えない。だからこそ、ラジオにメールを初めて間もない頃は、メールを読んだ後「いつもありがとう」と言ってもらえるようなリスナーになれたら嬉しいなと思っていたし、実際に認知されていてとっても嬉しかった。私のメール職人としての1つの集大成のようなものだった。

もう1つメインに聞いていた番組を上げるならば、「よなよな」という深夜ラジオがある。月から木曜日まで、22時から25時までという遅い時間、曜日によって変わるパーソナリティの中、私は月曜日と水曜日を主に聞いていた。(もらったノベルティはクリアファイル、ステッカー、CD、後カタログギフト)
特にこのよなよな水曜日は私が初めてメールを送った番組である。内容まではっきり覚えているが、ちょっと恥ずかしいから内緒にさせてください。中学3年生なりたての頃だった。うん。

メインパーソナリティが水曜日は近藤夏子さん、月曜日は森脇健児さん。聞き始めたきっかけはただ1つで、塾の帰りの親の車で流れていたことに由来する。行きの車で野球を聞き、帰りの車でチャンネルが変わってる訳がないので自然と聞くことが出来たのだ。夜の10時まで勉強していたのである。当時の私は偉かった。この番組の中、電話で私の声が2回載っている。どちらも大して結果を残せなかったのだが。思えばあの頃から私の話は長かったしまとまりがなかったのだと、少し残念に思う。

ここから先は私が聞いていた番組を理由と共に羅列していく。もしもわかる方とかリスナー仲間の方とかいれば反応とかもらえると大変嬉しいです。

上沼恵美子のこころ晴天(ABC)
・・・月曜日のお昼の3時間番組。中学時代不登校だった私の月曜日の楽しみだった。コーナーはあれどほとんどフリートークの3時間。そんな番組他にない笑

南山千恵美のミュージックスマイル(ABC)
・・・土曜日のお昼、4時間ぐらい?の生放送。コーナーを挟みつつほとんど曲を流していた記憶がある。私の今の音楽知識の半分はこの番組から得た。
Cheersもそうなのだが、ラジオのおかげで私が生まれるちょっと前の曲とか、親世代のヒットソングもしっかりと知っている。(それも相まってだいぶ歳上に見られるような気もする)

兵藤大樹のほわ〜っとええ感じ(ABC)
・・・金曜日のお昼、これまた3時間番組。こころ晴天の曜日違いで同じ枠の番組である。2回ステッカーをもらった。

サクサク土曜日中邨雄二です(ABC)
・・・私が1番好きな実況アナウンサーがこの人である。土曜日の朝から2.5時間ぐらいの番組で、面白い。メールを送ったことはあった気がする(なかったかもしれない)。メールを読まれたことはない。

女と男と木村のシャバダバ元気(KBS京都)
・・・木曜日のお昼、13時から3時間ぐらいやってたかな?ここでも電話に出たのが2回、サイン色紙も2枚もらった。

miwaのオールナイトニッポンプレミアム(ニッポン放送)
・・・「miwaさんのラジオは面白い」ということは知っていたので、高校2年の3学期ごろ、野球実況の合間ですると知って全8回ぐらい?毎週楽しみにしていた。メールを送ったがレベルが高かった。読まれたことはない。
「赤い鯉人さん」のメールが面白かったことははっきりと覚えている。あんなにもパーソナリティをメールでいじる番組があるのかと驚きだった。そりゃ人気が出る訳だと。

安住紳一郎の日曜天国(TBS)
・・・日曜日の10〜12時にやっていた。大学時代に聞いていた数少ない番組の1つである。メールを読まれたことが一度だけあって、この番組のポストカードを1枚持っているのは数少ない自慢。それくらいリスナーのレベルが高く競争率が高い。安住さんのトーク技術は本当に勉強になる。

山形純菜プレシャスサンデー(TBS)
・・・大学時代に聞いていた数少ない番組の1つ。
日曜天国の前にやっていた番組で、6時とか6時半から早起きしてわざわざ聞いていた。コロナ禍ということも相まってろくに楽しみもなかったからできた芸当なのかもしれない。友だちと朝までゲームして、その流れで聞いたこともあった。山形さんの優しい声は日曜日の眠たい朝にスッキリと入ってきた。ゲストコーナーが面白かったのと、唯一送ったメールがヒットしてパスタセットをもらえた思い出。

他にも色々聞きていた番組はあるし、語りたいこともあるのだが、また別の機会に。
ここまで読んでくださった方、いるのなら本当にありがとうございます。
自己満足、にしてはボリュームたっぷりの面白くない文章であったと自覚しています。本当すみません。
ラジオで鍛えた文章力、というのがどこから来るのか、斉藤哲陽という麻雀打ちがどんな人間なのか知ってもらうきっかけになればいいなと思い書いてみたが逆効果だったかもしれない…
200〜300字が主戦場だったメールと違ってこういう長い文章にはオチやユーモアが入るスペースがありすぎる。
読んでいて楽しいなと思ってもらえること、次も読みたいなと思ってもらえる文章というのは私の課題である、すみません。精進します。

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