私と野球と10.2
2014年10月2日、京都に住む一人の中学2年生はラジオの前に正座していた。目的はパ・リーグの首位攻防戦、福岡で行われるソフトバンクホークスVSオリックスバファローズ。おおよそその試合に勝った方が2014年シーズンの優勝を決めるという大一番だった。
私が本格的に野球を見出したのは2013年のWBCの影響が大きい。そこから野球を見始めた。関西に住む私は、何も考えないまま阪神タイガースを応援し始めた。コップに入れていた氷がいつのまにか溶けていたような、そんなごく自然の事象である。週4で通っていた塾の送り迎えの際、親の運転する車の中でABCラジオを聴きながら、野球に一喜一憂する。10時に終わった塾帰り、まだ試合をしていた時は嬉しかったものだ。家でゆっくりできる時にはラジオを聴きながら、テレビの音量を消して別の球場の試合を見るなんていう器用なこともやっていた。時々どっちが攻撃で、どっちを応援しているのかわからなくなることもあった。
そこから私が日本ハムファイターズファンになるのはもう少し先の話になるのだが、それはまた別の機会に。
話を戻して10年前の今日、野球好きとしては見逃せない試合。どうしても生でその温度を味わいたかった。しかし、地上波でパ・リーグの試合をする訳もなければシーズンも後半に差し掛かり、オフのラジオ番組が増えている季節、新聞のラジオ欄を見てもヤフオクドームでの試合なんて中継する訳もなかった。
私は一縷の望みにかけて、いつもはAM1008、ABCラジオから動かないようにしているラジオのチューナーをぐりぐりと回し、必死にアンテナを伸ばし、福岡からの電波を拾えないかと躍起になっていた。その甲斐あってか、ノイズ混じりにかすかに聞こえてくるのは野球実況だった。どこの電波が拾えたのかなんてわからない。RKBだったかKBCだったか、当時の私はそんなことどうでもよかった。目当ての電波を拾えた喜びと、少しでも電波を拾いやすくするために大きく開けた窓から漂う秋風が心地よかったことは今でも覚えている。
私の応援していたのはもちろんオリックスだった。阪急ブレーブスファンだった父親と、糸井選手が好きだった弟の影響が1つ、関西にいたことが1つ。もっと言うならなんとなく、である。当時の選手で言うと、安達、糸井、T-岡田、伊藤光がチームを、打線を引っ張り、先発には金子千尋、西勇輝の両エースがいる布陣。そしてなんといっても盤石のリリーフ陣である。吉田一将、馬原、比嘉、マエストリ、岸田に佐藤達也に平野がいた。先発投手の仕事は4回まで投げることなんて言われていた。
一方のホークスには、内川、柳田、李大浩を筆頭に、長谷川、明石、今宮などなど、スター軍団といった様相だ。
2014年シーズンで印象に残っているシーンは、この試合と京セラドームでの首位攻防戦、李大浩にホームランを打たれた西勇輝が涙を流しながらマウンドに跪くシーンである。それほどまでに両チームとも鎬を削っていた。
10月2日の試合、私は断片的に、それでいて鮮明に試合を覚えている。少しでもノイズが止むように必死でチューナーを微調整しつつ、耳と心はラジオに傾ける。当然実況はホークス寄り、地元民向けなのだから当たり前である。私はその興奮を盗んでいるかのように聞き入った。試合は両チームとも投手陣が力を見せ、終盤まで接戦を繰り広げた。オリックス自慢の中継ぎ陣が奮闘する展開で、オリックス、ペーニャの打った打球がドームの天井に当たったのを覚えている。混乱した実況と時折大きくなるノイズ、何が起こっているのかわからないから、必死に声を追いかけた。結果はアウトになったらしく、憤るとともに、少し嫌な予感もした。そして迎えた10回の裏、変わったマエストリが打たれ、ピンチの場面で出てきた比嘉VSホークスの選手会長松田。レフト方向に弾き飛ばした松田の当たりが、優勝を決定付ける一打となった。
その日のスポーツニュースで、初めて映像で見た。上手く打った松田の技術と気持ち、泣き崩れるオリックスの選手たち、立ち上がれない伊藤光、その光景は未だに残っている。
あれから10年が経った。ただの野球好きだった中学2年生は大人になり、麻雀プロになったらしい。当時聞いていたピンクのあのラジオ、今ではどこにあるのかな。きっと実家のどこかに眠っているのであろう。「当時は良かった。」なんていうつもりもない。時代とは変わるもの、良くも悪くもなる面というのはどこにでもある。
しかし、当時私を熱くさせた選手たちが今季での引退を発表した。「安達選手、T-岡田選手、比嘉選手」苦境のオリックスにおいて、矢面に立ち、それでいて縁の下で支えた選手たちである。そういう意味では、時代が変わってしまったと少し寂しく思う、思ってしまう。
私がこうして珍しく物を書くきっかけになったのは、10年という節目でも、麻雀プロになったからでもない、次々と発表される彼らの引退に少し悲しくなってしまったからである。
私をより一層野球好きにさせ、パ・リーグファンにしてくれた当時のオリックスには心からの感謝を伝えたい。そして、当時の私に感動を与えてくれた、その3選手たちには大いにリスペクトを込めて申し上げたい。
「現役生活お疲れ様でした。ありがとうございました。」と。