映画すみっコぐらし 傷ついたこころを救うための考察 ※ネタバレ
●注意
このコラムは、映画を観て、消化しきれない気持ちをどうにかするために書きました
ですので、内容は映画を観た前提で書いていますし、ネタバレもたくさんあります
ぜひ映画を観てから読んでみてください
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■ もくじ ■
□前置き
●注意
●とても楽しみにしていたボク
●不穏な前評判とすみっコぐらしのダークサイド
●感想は「ただただ悲しい」。。。
□本題
●何が悲しいのか
――ぺんぎん?はなぜ〈いっしょ〉と気が付いてそんなに喜んだのか
○本当は孤独なぺんぎん?
――ひよこ?が欲しかったものは〈なかま〉
――誰よりもひよこ?のためにがんばったぺんぎん?の気持ち
○いじらしいほど献身的なぺんぎん?のがんばり
○やっと〈なかま〉になれたひよこ?
○最後まで諦めきれないぺんぎん?
○散り散りになってしまう[なかまのしるし]の花びら
――新たに生まれたらくがきのすみっコたちは幸せなのか
○またひとりぼっち
○新しい[なかま]はすみっコたちの代わり?
――最後まで報われなかったぺんぎん?
●傷ついたこころを救うための考察
――幸せなひよこ?たちの世界
○なぜ、すみっコ風ひよこなのか?
○すみっコたちが描いた、ありったけの幸せをつめ込んだ世界
――外のぺんぎん?は再会できる
●それでもやるせないひとへの希望
――5年に一度現れる奇跡
□括り
●男性の方がキツイ?==================================================
□前置き
●とても楽しみにしていたボク
個人的な話をあまりしても仕方ないですけど
同じ気持ちだったすみっコファンも多いと思うので
少しだけ……
正直に言って、最初に映画の発表があったときはちょっと不安でした
イメージと違う声だったり、世界観と違うエピソードになったりしないかって
でも、すみっコたちのセリフは声がないと知って
「この映画は楽しみにしていい!」と信じることにしました
それからは、すみっコパズルのイベントをコンプしたり
映画の公式ツイッターをフォローしてRTしたり
ボクなりに公開までの日を指折り数えて待っていました
ただ、公開日が休日だったこともあり、きっと楽しみにしている子供たちがいるだろうと
自営業でオトナのボクは休みが明けるのを待ってから、観に行くことにしました
すると、ツイッターのトレンドに[#すみっコぐらし]の文字が。。。!?
●不穏な前評判とすみっコぐらしのダークサイド
タグ検索で見てみると……
感動した!高評価獲得!といった朗報が流れてくる一方で
[逆詐欺映画][那須きのこ]といった不穏な文字も。。。
手放しで楽しみにしていたけど、コレってもしかして鬱展開。。。?
覚悟して臨まないといけないかも、とちょっと不安になりました
すみっコぐらしはふんわりした世界観とはウラハラに
ちょっとヘビーな内容もあるんです
例えば……
・記憶喪失で自分が何者か探している、ぺんぎん?
・寒さに耐えきれず故郷から旅立った、しろくま
・捨て猫で自分だけ拾ってもらえず兄弟と生き別れた、ねこ
・自分を食べてもらうことを願っている、とんかつ
・研究者に狙われると思って、みんなに迷惑をかけないようにと嘘をつき続ける、とかげ?
みんな重いなにかを背負ってるんです
今度の映画、ヘビーな展開もあるかもしれないけど
最終的にみんなハッピーになるといいなぁ
そんな淡い期待を抱いて、映画館に足を運ぶのでした
●感想は「ただただ悲しい」。。。
映画館では大号泣でした
こんなに泣いたのは人生で初めてだと思います
でも、それは感動したからじゃありませんでした
ただただ、可哀そうで。。。悲しくて。。。
これでよかったんだって、よかったねって、
頭では、理屈ではそう結論づけられるけど
でも、やっぱり悲しい。。。
なんでこんなに悲しいんだろう?
この気持ちを消化するには、この悲しみと向き合うしかないと思い
このコラムを書く決意をしました
ちなみに、家に帰ってからは
いっそうツラくなって、一晩中むせび泣いていました
□本題
●何が悲しいのか
さて、前置きが長くなってしましたが、ここからが本題です
こころの中の悲しみを噛み砕いて、吐き出して
この傷ついたこころを救ってあげたい
そのためにまずは、
物語を振り返って
何が悲しかったのか考えてみましょう
あ、何をそんなに悲しんでいるのかわからない
というひともいると思いますけど
よかったら、こう感じたってことを読んでもらえるとうれしいです
――ぺんぎん?はなぜ〈おなじ〉と気が付いてそんなに喜んだのか
○本当は孤独なぺんぎん?
ひよこ?が自分と同じと気づいたとき、ぺんぎん?は大喜びしました
そして「おうちをみつけてあげよう」と決意します
そのときの様子が少し過剰じゃないかと思ったひともいるかもしれません
どうしてあんなにテンションが高かったのか?
その理由は彼が胸に秘めていることに関係があるかもしれません
ご存知でしょうか?
すみっコにはそれぞれパートナーのミニっコがいることを
しろくま - ふろしき
ねこ - ざっそう
とんかつ - えびふらいのしっぽ
とかげ? - にせつむり
でも、ぺんぎんは。。。
予告編を見ながらひよこ?がパートナーになるのかなーとか思ったりもしました
[?]もいっしょだし、[くちばし]もいっしょだし。。。
マイペースでよく周囲を振り回しているイメージのぺんぎん?だけど
よくひとりで本を読んでいるんです
読書を楽しんでるんじゃなくて、自分の手がかりを探すために
本当はいつも孤独を感じているのかもしれません
自分が何者かもわからないぺんぎん?だからこそ
きっと人一倍強くシンパシーを感じたんですね
――ひよこ?が欲しかったものは〈なかま〉
かくして、ひよこ?の[おうち]を探す旅がはじまります!
でも、ちょっとまって
ひよこ?が旅をしているのは、
空から降ってきたすみっコたちの元へやってきたのは
[なかま]が欲しかったんだよね?
すみっコたちは旅の中で、ひよこ?の[おうち]を探していました
でも、ひよこ?にとっての[おうち]は[なかま]だったんです
そして、ひよこ?は旅の中ですみっコたちと[なかま]になっていきました
――誰よりもひよこ?のためにがんばったぺんぎん?の気持ち
中でもぺんぎん?はひよこ?のために一所懸命でした
というか[おうち]を探す描写はぺんぎん?としかなかったような。。。?
○いじらしいほど献身的なぺんぎん?のがんばり
勢いだけでひよこ?の手をつかみ、野山を駆け回ったぺんぎん?
乗りこなせない魔法のじゅうたんも、ひよこ?のピンチに無我夢中で乗りこなしました
そして、じゅうたんに乗って空からおうちをいっしょに探し
流れ星を見つけて咄嗟に出てきた願いは[きみがおうちにかえれますように]
ずっと自分探しをしているハズなのに、
自分のことよりも先にひよこ?のことが出てきてしまう。。。
おにぎりを食べて眠ったときも、ひよこ?がいないことに気づいたのはぺんぎん?でした
傷心して池に落ちたひよこ?を追いかけ真っ先に池に飛び込み。。
きっと――
ひよこ?がすみっこに来ることになったとき、
いちばん嬉しかったのはぺんぎん?だったんじゃないかと思います
○やっと〈なかま〉になれたひよこ?
最初、イヌ・サル・キジに続いてこっそりやってきたひよこ?
しろくまがふろしきを貸してくれたとき、すぐに[ありがとう」というのではなく
「いいの?」と訊ねていました
すみっこのおすそ分け、輪の中に入ることに遠慮していたひよこ?が
「みんなと・・・なかまじゃない」
白紙のページでそう呟いたひよこ?が
本当に[なかま]になれたのは、みんなで[なかまのしるし]のお花をつけたときからでした
親切なひとへのお礼ではなくて、なかまのために、いっしょに外の世界へ行くために、
ひよこ?はすみっコたちと階段を作りました
階段が完成したとき、
それまでなら遠慮がちだったひよこ?は
頂上で、誰よりも前に立って、完成を喜んでいました
だから、最初に気がついてしまった
本当はもっと前から分かっていました
おばけが先に帰ったとき、身に着けていたお花は輪を通れなかったから
でも、一緒に来る?と誘ったのがしろくまだったから
器用でいつもみんなを助けてくれるしろくまなら
なんとかしてくれるんじゃないかって、期待してしまった
○最後まで諦めきれないぺんぎん?
諦めてすみっコたちを見送ることに決めたひよこ?を呼ぶぺんぎん?
ひよこ?が輪を通れないことに気づき、
絵本の住人たちが駆けつけてくれた後でも、ぺんぎん?は諦められませんでした
どうして、ぺんぎん?は最後まで諦めなかったのでしょう?
ぺんぎん?自身がひよこ?と離れたくなかったから?
きっとそれもあると思います
でも、最初から一貫してひよこ?の幸せを願って奔走してきたぺんぎん?です
もしお別れが本当にひよこ?の幸せになるのなら、ぺんぎん?はお別れを言えたと思います
(うみっコシリーズでは、泣きながらひとで?を見送っていましたよね)
だからボクは思いました
ひよこ?は自分が何者かを思い出せたし、旅の中で絵本の住人とも仲良くなれた
でも、ひよこ?が探し求めていた、本当に欲しかった[なかま]はすみっコたちなんだって
「ありがとう」 と手を振るひよこ?
でも――
ひよこ?は本当は幸せじゃない、そう気づいていたから
ぺんぎん?は諦められなかったんだと思いました
○散り散りになってしまう[なかまのしるし]の花びら
すみっコたちを見送った絵本の住人たちの元に
さくらのように舞い降りる花飾りの花びら――
とても美しい光景でした、けど。。
すみっコたちとひよこ?との絆が砕け散ってしまったようで
見送るひよこ?の後姿が
とても悲しく見えました
――新たに生まれたらくがきのすみっコたちは幸せなのか
○またひとりぼっち
元の世界に戻ってきたぺんぎん?は
絵本の白紙のページに描かれたひよこ?を見てボロボロと涙を流します
せっかくなかまになれたのに、
またひとりぼっちにしてしまった。。
さみしがり屋のひよこ?を独り
置いてきてしまった悔いと悲しみが
「ここはまかせて!」と言ってみても
何もできなかった無力感が
ぺんぎん?が感じているかもしれない“やるせなさ”が
自分の気持ちのように湧き上がってきて
どうしようもなく悲しくなりました
せめて、絵本に残されたひよこ?が悲しくないように
すみっコたちはひよこ?のための世界を描きます
○新しい[なかま]はすみっコたちの代わり?
ここは少し哲学的です。。
エンドロール中、絵本の中で出会った
すみっコたちに似たひよこ?のなかまたちとひよこ?の絵が描かれます
ぺんぎん?に似たひよこ?が泣きながら飛びついているあたり
すみっコたちの記憶が引き継がれているようにも見えます。。
すみっコたちの分身が転生したようなことなのでしょうか。。
だとすると、転生したすみっコは絵本の外をしりながら、
そこから出られない存在として生まれてよかったのかと思ってしまいます
別人としての存在なら(実際、すみっコたちは外に存在するので別人なのですが)
なかまができて喜んでいるとは思いますけど
やっぱりすみっコたちに思いを馳せるひよこ?の背中が目に浮かびます
ひよこ?が楽しく過ごせるようになったんだから[めでたしめでたし]じゃないかって
頭では考えられるんです
でも。。。
やっと見つけたひよこ?の本当の[なかま]とは
やっぱり会えていないんだなって、こころでは悲しんでいました
――最後まで報われなかったぺんぎん?
ひよこ?のことが大好きで、ひよこ?のために奔走し
最後の最後までひよこ?の幸せを願って諦めなかったぺんぎん?は
結局、手を振るひよこ?に”さよなら”も言えず、再会もできないままでした
幸せな日々を過ごすひよこ?たち
でも、ぺんぎん?にはそれを確かめることはできません
ひよこ?はぺんぎん?ひよこに会えた、でもぺんぎん?は会えないまま
ひよこ?だって、本当に会いたいのはぺんぎん?なんじゃないかって
そう思うと本当にやるせなくて、たまらなく悲しい
部屋のすみっこで、大事そうに絵本を抱え眠るぺんぎん?となかまたち。。。
さよなら また会おう 今頃 好きだよ
万華鏡は回るよ 僕らをのせて
形の上では幸せな日々を手に入れたひよこ?と
らくがきのひよこ?を救い、
絵本の中のひよこ?を救えなかった、報われないぺんぎん?の物語
これが、映画すみっコぐらしの
バッドエンドとは言えないと評されるトゥルーエンドの結末でした
●傷ついたこころを救うための考察
一晩むせび泣きながら、どこかに救いはないかと
みんなが幸せになれるって根拠になりそうな布石はないかとボクは探しました
そして、ボクなりの考えにはなってしまいますが
なるべく、”こじつけ”にならないように
自然に受け入れられる解釈を探しました
――幸せなひよこ?たちの世界
○なぜ、すみっコ風ひよこなのか?
「なんでそのまますみっコじゃないの?」
あるいは
「なんで同じひよこじゃないの?」
って思いませんか?
ボクなりの解釈はこうです
[みんなでアイデアを持ち寄ったから]
例えば、素直に考えると
絵を描けるしろくまが「ひよこ?のために他のひよこも描いてあげよう」言いだし、
ぺんぎん?が「それならみんなに似せてほしい」と提案した、みたいな
そして[なかまのしるし]を描くことで自分たちの分身にした
それで、絵本のすみっコたちは出られなくていいのかなって心配したんだけど
ボクは思い出しました
すみっコたちが描いたのは、なかまだけじゃないってことを――
○すみっコたちが描いた、ありったけの幸せをつめ込んだ世界
ひよこ?を想って描いたのは、[なかま]だけじゃない
みんなで暮らす[おうち]も、お花畑も、川も、リンゴの木も、空も、大地も。。。
最後のページに描いたのは、すみっコたちがひよこ?と暮らすための[世界]
だからきっとその世界には、
すみっコたちが外の世界でひよこ?としたかったことが全部できるように
外の世界と同じように、
絵本の世界で一番うまいコーヒーが飲める[喫茶すみっコひよこ]や
とかげひよこのおかあさんが暮らす[すみっコひよ湖]もきっとあるはず
絵本の世界から出られない代わりに、[外の世界]が絵本の世界の中へとび込んだ
[せかいのおはなし]の最後のページに広がるのは[すみっコたちのせかい]なのです
だからきっと、すみっコひよこたちも不自由なく暮らしていけると思うんです
――外のぺんぎん?は再会できる
でも、ぺんぎん?は報われないの?
もうひよこ?と再会できないの?
このことについても考えてみました
そもそも、どうしてすみっコたちは絵本の中に吸い込まれたのでしょう?
ひよこ?が願ったから。。。?
もしそうなら、またひよこ?が会いたいと願えば
きっと絵本の入り口は開きますよね
でも、ひよこ?は他のページを旅してまわりましたが
外の世界に関わる力まで持っていたのか疑問も残ります
それじゃあ、どうして吸い込まれたのか
もう一つの説
それは、絵本がそもそも[魔法の絵本]だったという考えです
思い出してみてください
おばけがどうやって外の世界に帰ったのかを
白鳥の湖の近くで、ボタンを押したら出口が開いたんでしたよね
つまり、最初から絵本の世界には、出口を開く[しかけ]が用意されていたんです
みにくいアヒルの子が最後のページだったのか
他のページにも備わっているものなのかはわかりませんが、
白鳥に乗って空のゲートをくぐって出られたでしょうし
魔法のじゅうたんのように、空を飛ぶアイテムも絵本の世界には用意されていました
白紙のページでどうして出口が開いたのかはわかりませんが
最後のページにたどり着いたら後は出るだけなので
自動で開く仕組みだったのかも
そして、外へ出る仕組みが用意されているってことは
中に入る仕組みもある、ということ
最初すみっコたちが吸い込まれたときは、おばけが仕掛けを動かしたときに起動したので
何かの仕掛けを動かすと吸い込まれるのかもしれません
絵本を大切に抱いていたぺんぎん?
きっと近いうちに、また会いたくなってページを開くと思います
そうしたら絵本の中に入れることに気がついて
またみんなでひよこ?たちに会いに行くはずです
映画の中では気づいていませんでしたけど
本当はいつだって、絵本の世界に行けるんです
おはよう 元気かい おやすみ また明日
万華鏡は回るよ 僕らをのせて
●それでもやるせないひとへの希望
――5年に一度現れる奇跡
それでもやっぱりすみっコとひよこ?にはいっしょに暮してほしかった!
そのためにみんなでがんばったのに報われない!
そう思うひとも多いと思います
でも絵本から出られない住人を絵本から出すなんてこと
神様でもないとできない。。。
。。。ん?
。。。。。。。神様?
そうです!
すみっコにはいつも見守ってくれているすみっこの神様[すみ神様]がいるんです!
すみ神様が現れるのは5年に一度
前回は5周年の年に現れました
今年は7周年ですから、次に現れるのは3年後ですね
今回の映画では[とびだす絵本]から飛び出せなかったひよこ?
でも3年後に現れるすみ神様ならきっと、
ひよこすみっコ.たちといっしょに外の世界へ連れだしてくれるハズ!
公式がそうした企画を実施してくれるかはわかりませんけど
やさしいすみっコたちの世界ではきっと、みんなの願いは聞き届けられる
そう信じています!
□括り
ここから先はボクの所感なので
気になるひとだけ読んでください
●男性の方がキツイ?
作品の評判で、付き添いで来た彼氏や旦那さんが号泣だった、という話を目にしました
なんとなく男性の方がダウンしてるひとが多いのかな、と印象を持っていましたが
今回、ストーリーを分析していて、その傾向はありそうだな、と思いました
というのも、いわゆる[男性的な価値観]で見たときに、報われないシナリオになっているんですよね……
詳しく説明します
少し専門的な話ですが、
昨今の映画は[ヒーローズジャーニー]と呼ばれるストーリーパターンに
なぞらえて制作されることが多いです
この映画が当てはまるかは断言できませんが、敢えて当てはめて分析してみました
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1:日常世界
すみっコ :喫茶すみっコで食事を注文
ひよこ? :消えかかっているひよこ?
2:冒険への誘い
すみっコ :絵本に吸い込まれる
ひよこ? :〈なかま〉を求めて旅に出る
3:冒険の拒否
すみっコ :桃太郎の冒頭で戸惑うすみっコたち
ひよこ? :どのページでもなかまに入れてもらえず絶望する
4:賢者との出会い
すみっコ :ひよこ?と出会い目的が決まる
ひよこ? :すみっコたちと出会う
5:戸口の通過
おうち探しの旅へ
6:試練、仲間、敵
それぞれの童話の物語
7:最も危険な場所への接近(世界の全容が明かされ、対策を講じる)
ひよこ?の〈おうち〉はすみっコたちのすみっこだとわかり、空の出口が開く
8:最大の試練(巨悪と対峙し勝利する、など)
力を合わせて、出口に届く塔を建設するが、ひよこ?は出口を通れず、試練は失敗に終わる
9:報酬(巨悪を打倒し、束の間の喜びを得る)
すみっコを見送るひよこ?と絵本の住人たち
10:帰路(まだ問題が完全には解決していないと気付く 《建物が崩壊するなど》)
すみっコ :絵本に残されたひよこ?を見つけて号泣する
ひよこ? :再びひとりぼっちになる
11:復活(問題を完全に解決する)
すみっコ :ひよこ?の為に最後のページに絵を描いてあげる
ひよこ? :なし
12:宝を持っても帰還(世間から賞賛を受ける、仲間と喜びを分かち合うなど)
すみっコ :なし
ひよこ? :すみっコたちのおかげで幸せな世界で暮らせるようになる
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こうして見たとき、
[8:最大の試練]で一般的にはラスボスを倒すシーンなどが当てはまるのですが
そこでまさかの敗北(外に出られない)をしていたり
[12:宝を持っても帰還]は主人公がキーパーソンに感謝されたり、
仲間と喜びを分かち合うシーンですが
ひよこ?の幸せな世界はエンドロール中の静止画で示唆されただけ、
すみっコが喜ぶ描写はありませんでした
物語はたしかに優しい世界で思いやりに溢れていました
でも、
それなのに、
“ 頑張ったけど目的は達せられず、確たる報酬も得られなかった ”
それは、とても悔しいし、悲しいこと
これが僕が漠然と感じていたバッドエンドの正体でした
目的を達成することや、確かな報酬(承認?)を得ることに拘るのは
男性的な価値観なのかなと思い、
男性の方がキツイと感じる人が多そうだと思いました
ボクの考察はこれで以上となります
最後までおつき合いいただき、ありがとうございました!
よい、すみっコライフを!