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ロックしかねーだろ、人生は (最初の旅 vol.01)

なぜこんなことになったのだろうか、ぽくぽくぽく。

2005年4月28日 PM4:00、おれっちはベトナムはホーチミンの町中を彷徨っていた。ホテルの予約はしていなかったため、とりあえず片っ端から安ホテルを見つけては、唯一覚えてきた英語である「Do you have a room?」をランボー3のランボーのごとく筋肉パンパンで節操もなく撃ち続けていた。
当時でもネットなどで事前に予約はできただろうが、何となく予定に縛られる旅になるのも嫌で、それに直接ホテルに出向いて交渉した方が安く泊まれそうだしな、なんて思っていたがそもそも部屋が空いていなかった。月夜のメチャラクチャラのように歩いているため今自分がどこにいるかも分からない状況で汗を垂らし垂らし、縮み切ったチンコをプラプラさせながら絶望の中を彷徨っていた。なぜこんなことになったのだろうか。ぽくぽくぽく。

日本からベトナムへ

ちょっと時間を巻き戻してみる。

2005年4月28日 AM4:00に軽く朝立ちした状態で起床。この時期のおれっちは朝風呂派の健康優良不良少年だったこともあり、夜間電力で温められたタンクに溜まったお湯をシャワーという卑猥なイチモツを握り締めながら粘り気のある眠気を排水溝の奥底深くへと流した。そんな眠気をエネルギー源としてまさかあんなモンスターが生まれるとはつゆ知れず。
当時おれっちはJR川越駅から歩いてはちょっと遠い、チャリンコでは往路は上り坂ちょっとキツイ、復路は下り坂で結構楽ちんな新河岸川近くの会社の寮で一人暮らしをラリホーラリホー言いながら謳歌していた。

東京国際空港(成田)発、ベトナムはホーチミンのタンソンニャット空港行きのフライト時間はAM10:30。海外旅行はこれが三回目だっただろうか、一人旅はこれが初めてってこともあり、やはり空港には二時間前に着いていたい、流石は公務員の次男坊。会社にはいつも寝坊で遅刻ギリギリでも、今日は余裕のあるスケジューリングだ。AM6:00に家を出る、鍵はかけない、スリルを楽しむんだ。
荷物は小さなリュック一つで十分、持ち物と言えばちょっと穴の開いた下着類、洗面道具ぐらい、あとは現地でなんとかなろうだろう、オナニーだって想像を駆使すればなんてことはない、世界初のエコオナニーを唱えよう。
自転車でちょっとキツイ上り坂を今だに朝立ちに邪魔されながら立ち漕ぎしてなんとか登りきる、残りの駅までは平坦な道だ。朝早いこともあり人気のない道を颯爽と疾走する。左右の確認もせず踏切、線路を超えてJR川越駅西口駐輪場にマイチャリ(名前はロシナンテ)を止める。しばらくの別れだ、ロシナンテ、アディオス。

鈍行電車で約2時間かけて京成線の成田国際ターミナル駅に到着する。
2005年というとおれっちはイワユル社会人になって三年目だっただろうか、実家が成田であるにも関わらず両親に顔も見せず、ゴールデンウィークの休み全てを一人旅に費やすことに何の罪悪感も持っていなかった、これもロックだと思っていた。

世界最古のベトナムの地図、1999年に農夫が偶然掘り当てた
その後農夫は行方不明、その孫はストIIターボの世界大会で4位に輝いたベトナムの英雄
ラフ日程、果たしてこの通りに行けるかな?
この期間中に何回オナニーをするか予想してね

今回の旅はどんな計画かというと、4月28日に成田-ホーチミン、5月8日のハノイ-成田間の航空チケットのみ用意して、ホテルや移動手段は何も決めないことにしていた。インターネットなどで特に調べることもなく、情報源としての地球の歩き方のみを握りしめて(チンコと交互に)の旅だった。何かの本で、日本で面白いことを経験するには自ら何かを起こすことが必要だが、海外では勝手に面白いことが経験できる、というようなことを書いていて、そりゃソーダ、と思い面白い経験を期待して何から何まで準備不足の状態で行くことにしたのだった。


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慮太郎(おもんぱかたろう) オン・ザ・マイク
咳をしても一人、コホンコホン。 (ガサガサ) おい、大丈夫か? えっ、誰?