31.モチベーション
信仰度★★★☆☆
【モチベーション:motivation】
①動機付(どうきづ)け
②物事を行うための、動機や意欲になるもの。刺激。熱意。
『大辞林』より
ヨシモトさんの場合
ヨシモトさんはたいそう話好きなご婦人です。加齢と腰痛で体の動きは緩慢になってきていますが、トークはマシンガンです。
3月中旬のある日、ヨシモトさん宅に伺う用がありました。私はほとんど聞き役ですが、むしろそれが心地いいのです。
家に一度入ると30分では帰れません。話し出せばとことん話し込むのがヨシモトさん。こちらも腰を据え、尻をべたりとつけて聴き込みます。
私と話をしている間にも、ヨシモトさんの電話には何度も着信があります。付き合いが広く、多くの友人に慕われているのが分かります。
「せっかくやからどんな話するか聞いていきや」
とヨシモトさんはそのうちの一件をその場でかけなおしました。
電話のお相手は10代からの古いご友人でした。少し前まで年甲斐なく元気に動き回り、気を吐いていたが、急激にあちこちと体が動かなくなり、今は外出もままならない。娘らに面倒見てもらうのも心苦しい。もう死んでしまいたい。そんな思いで、友人のヨシモトさんにたびたび電話するそうです。
ひととおりうんうんと聞いた後、ヨシモトさんは応えます。
「あんたは賢すぎや。でもその賢さに私らは何度もたすけられたな。今度は私の番やから、いつでも電話してき」
電話の切り口でお相手のかたはヨシモトさんに何度もお礼を言っていました。心なしか、最初よりも相手の声が少し上ずったのを感じました。
話の盛りの頃、今度はピンポーンと来客がありました。ヨシモトさんがはいはいと出て行き、玄関先でまた話をひと花咲かせています。
お相手は、トラックで街角を廻り売りしている灯油屋さん。なんでも、いつも出ているはずのヨシモトさん宅の灯油缶が今日は出ておらず、心配に思い訪ねたとのこと。
いつも息子さんが出かける際に出しておく灯油缶。その日は出し忘れていたみたいです。今シーズン最後の廻り売り。買いそびれては気の毒だという灯油屋さんの計らいでした。ヨシモトさんも「気にかけてくださるなぁ」と喜んでいました。
「人たすけたらわが身たすかる」
なんでもヨシモトさんは、店員さんなどに欠かさずに、お願いします。ありがとう。ごちそうさま。などと声をかけるそうです。
灯油屋さんとも、そんないつものあいさつのやり取りから親しくなり、腰の悪いヨシモトさんを気にかけて、訪ねてくださったようです。
一件がすんだ後にヨシモトさんがこの心がけを話してくださり、「灯油買えなかったら大変やった。おかげでたすけてもらったわ。普段からの言葉かけで、向こうも気に留めてくれはったんやね。」と語っていました。
「人たすけたらわが身たすかる」※1
天理教の聖典『おふでさき』に出てくる神さまのお言葉です。
信仰的に深い味わいのある言葉です。今回に関しては、人をたすけようという思いからくる日々の心遣りや言葉がけが、やがては自分を支えてくれるもととなることを示してくれました。
さて、私たちの生活は、次第に人を介さずとも満たせるようになってきました。
それに伴い、相手を思っての言葉や心遣りの上乗せを「お節介」と忌避する場面も目立ってまいりました。
人を思いやっての行動は、ともすれば過剰なお節介として迷惑がられます。
一方で他人からの介入を極力避けた結果、誰の手助けも受けられず孤立してしまう。こんなことだってあります。
これらは全て表裏一体で、都合よく全てを得ようとしてもそれは難しいものです。全く迷惑がられない人だすけもなければ、周りからの介入を遮断しつつ他人の手を借りることもできません。
私はかつて、この世が自己責任で成り立つ世界と思っていましたし、他人の事情に首を突っ込んだり、突っ込まれたりを毛嫌いするタイプの人間でした。
ですが、普段のお節介が有事に人を救う場面に出くわすようになり、少しずつ考えを改めています。
それでも、他人様の事情に踏み込んでまで世話を焼くことに踏ん切りがなかなかつかない。
「人たすけたらわが身たすかる」
そんな私のような人間にとって、この神言は、人をたすける動機や勇気を与えてくれます。
これはいいこと。
神さまが喜んでくれること。
これで自分という人間も立っていくことができる。
そう思えるようになると、心に明るさが生まれてきます。他人様の心ない言葉にあまり傷つかなくなります。結果助かっているのは紛れもなく自分自身です。
この世の生きにくさや面白くなさを感じる場面でこそ、まず人の役に立とうとする自分に喜びを見出したいなと思いますね。
※1
わかるよふむねのうちよりしやんせよ
ひとたすけたらわがみたすかる
『おふでさき』 第三号 47