6.イフ
信仰度★★☆☆☆
【イフ:if】仮定。もし。もしも。『デジタル大辞泉』より
事故、その前と後
数年前、西日本のある道路でトンネルが崩落する事故がありました。幸いにも事故当時通過していた車はなく、被害は最小限でした。
私の知人が乗っていたバスが、事故の直前にちょうどそのトンネルをくぐっていたようです。まさかすぐ後ろで崩落が起きたとは思わず、数日後にニュースを見るまで、自分が危ない所だったということにも気づかなかったと言います。
一方で、同じ事故現場に数分遅れてたどり着いた車もあったでしょう。目の前でトンネルが、崩落しているのを見て何を思うでしょう。
ちくしょうなんだこれ!進めない!
そう悪態の一つもつくでしょうが、その後すぐに、あともう少し早くここを通っていたら生き埋めだった…と想像し、ホッと胸を撫で下ろすでしょう。神さまに感謝の一つでもしたくなるものです。
さて、先に進んだ知人のバスと、後から来た車。どちらも難を逃れました。「無難」という意味では結果は同じです。(※1)
ところが、両者には決定的な違いがあると思います。
「無難」の2パターン
その違いとは、自分に起こったかもしれない災難を想像できたかどうかです。
後から来た車は最悪の事態を容易に想像出来たでしょう。
他方、先に進んだバスは、実は危ないところでタイミングに守られていたことにも気付かず、走り続けることができました。
私たちは目の前で起こることに対して、あるいは容易に想定できるifについては、ラッキー(/アンラッキー)を判断します。ですが、もしかしたらその数倍の数「もう少しで危なかった」状況を、毎日の営みの中で知らず知らずにかいくぐってきているのではないでしょうか。
自分の見えない範囲で守られていることに対して私たちは目を向けにくいものです。
それならせめて、今日一日の平穏をもっと喜ぶ努力をしてもいいのかなと。
「いかなる理も大難小難という理は、よく聞き分け。聞いて一つの理で大難小難。よう聞き取ってくれるよう。」明治21.7.3 「おさしづ」(神さまのお言葉)より
※1「大難小難」「小難無難」大きな災難に遭わなければならないところを、神さまにお守り頂いて、難儀を小さく済ませていただけた、あるいは、難なく無事に過ごすことができた、と感謝する信仰告白的な言葉使いです。参考:『天理教辞典』「大難小難」の項