ミニトマト

32.awaken

信仰度★★★★☆

【awaken】(自動詞)
目覚める 自覚する
『Eゲイト英和辞典』より

停滞期と向き合う

今シーズンは(今シーズン?)教会敷地内の一画を開墾して、作物を育てました。
はじめ10cmの苗木が日増しに成長する様を面白く眺めながら世話していました。
土が良かったのでしょう、お陰で豊作。初挑戦の小玉スイカも見た目の割には実の締まりもよく、教会内の仲間内にも喜んでもらえました。


作物は毎日着実に成長する、人間も成長期には身長がグングン伸びる。いずれも目に見えて確認できることです。

一方で、目に見えない人間の心の成長はどう進むのでしょう。

この4月にある種の修行を終えた私は、自身の心の成長を感じられることを大いに期待して、元のつとめに戻りました。きっと心に映る世界が変わっているはずだと。

しかし、期待ほどにその実感は得られず、自らのくせや性分にとらわれ、いやなものを見てはいやだと思い、しんどいことをしてはしんどいと思う日々をしばらく過ごしました。

これ、かなり不安というか危機感を覚えます。一生懸命に取り組むほどに、その成果への期待は増すので、目の前の現実に下方修正を押し付けられると、それなりの落胆があります。
もしかしたら、ある所へ達した気になっているだけで、その実何も変わっていないのかもしれないと。

心の成長と身体の成長は違う?

もしかすると、日々の心の動きや変化を「成長」などと表すから、心の動きと身体的成長とを混同して、「昨日の自分より今日の自分は精神的に長じているはずだ」と期待するが、それは現実に即さない妄想なのではないか、とすら一時感じていました。心が成長するということそのものへの疑いです。
(これは天理教の教義のうえから一応違うと言えます。「心の成人(成長)」というものの存在は教えられています)

いずれにせよ、「心の成長」というものが仮にあったとして、しかしそれは身体や作物のように右肩上がりに進むものではないのでしょう。

「身体的な成長と、心の成長は同じ成長でも質的に大きく異なる」
この時点での暫定的な答えです。

『おふでさき』の「出世」をてがかりに

ある時(この時も些事に心を濁していた記憶があります)、『おふでさき』(天理教の教祖が直筆で書き残した聖典)を開くと次のお歌が目に付きました。

だんだんとこどものしゆせまちかねる
神のをもわくこればかりなり

(『おふでさき』 第4号 65)

天理教では神と子は親子の関係で説かれます。これは決して、親子関係のようなものという比喩でなく、真実に親子だということです。

すなわち「こども」とはわれわれ人間。こどもである人間の「しゆせ」、こればかりを待ち望んでいるという旨のおうたです。

「しゆせ」とは「出世」。しかしここでの「出世」は「会社で出世する」といった、社会的により高い地位へ上がることを指す一般的な意味とは少し異なります。

「出世」を改めて辞書で引くと次の項目があります。

3 仏語。
㋐仏が衆生(しゅじょう)を救うためこの世に現れること。しゅっせい。
㋑俗世間を離れて仏道に入ること。また、その人。出家。
㋒比叡山で、公卿の子弟の出家したもの。
㋓禅寺の住持となること。特に、紫衣を賜り、師号を受け、あるいは勅宣を蒙って官寺の住持となること。

このように、「出世」には一般的な意味の他に世間を出て仏道に入る「出家」を意味する仏語の用法があります。むしろこれが元来の意味かもしれません。

もっとも、天理教には出家という概念はそれほど色濃くありません。
これについては、世上に身を置きながらも、わが身中心の世俗的価値観から一定の距離をとって、神さまの存在を基盤にした生活を世に示すところに、この教えの特徴があるからなのですが、少し本題とそれるので、この話はまたいつか。

前後のおうた(※1)から思うに、ここでの「出世」は、神の仕込みを受けた人々が、だんだんにその思召しを心に置くようになり、世に出て実行していく様をおっしゃっていると解します。そこには、神さまの望まれる姿に近づく人間側の成長が伴います。

ところで、このおうた、英訳では次のように示されています。

I wait impatiently for My children to awaken to the truth.
There is nothing else in the thoughts of God.
『OFUDESAKI The Tip of the Writing Brush 』より

すなわち「出世」を「真実に目醒める」というニュアンスで表しています。

なるほど、

「出世」、心の成長は、わが身中心の思案という眠りから覚めることによって確認されるということです。

ここに思いが至る時、自ずと、これまで異なると信じていた身体的成長と精神的成長には、通底する共通の原理が感じられました。

それは成長の前にある「眠り」の存在です。

草木も夜の時間を体内時計で感知して成育を調整しますし、人間の身体的成長でも寝ている間に成長ホルモンが分泌されます。

そして心の成長の前には、長いトンネルにいるような感覚を持つときや、モヤモヤとした停滞を感じるときがあります。

ですがそれもきっと成長に欠かせない「眠り」なんでしょうね。やがて目覚めた時に、停滞と感じていた過去の眠りに意味を見出せるようになるのでしょう。

原理を悟り複雑性を解きほぐす

この世界とわれわれの身の内には、十全のご守護が働いています。しかもその守護はマクロ/ミクロを通底して同じ神名で示されています。

すなわち十全の守護の8つ目をふとのべのみことは、
出産の時親の胎内から子を引き出す世話、作物の伸長や、人間の成長、眠っている潜在能力を引き出す、万物の引き出し一切の守護

作物が育つのも人間の心身が育つのも、同じ原理がそこに働いている。多分そうでしょう。

この件に限らず、世界や身体の一見複雑な構造、微妙な働きは、きっと十全の守護の組み合わせによって成り立っているものと解します。

原理がわかれば、その複雑性も実にシンプルに見えてくる、悟りとはおそらくそういったものだと思います。

十全の守護を教わっている私どもとしては、折にふれて、一見複雑そうな生きていくうえでの諸問題を解きほぐして、解決の糸口を見出すお手伝いをこれからもしていきたいです。


※1
このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり
いちれつのこともがかハいそれゆへに いろ/\心つくしきるなり
このこともなにもをしへてはや/\と 神の心のせきこみをみよ
だん/\とこどものしゆせまちかねる 神のをもわくこればかりなり
こどもさいはやくをもていだしたなら からをにほんのぢいにするなり
(『おふでさき』第四号 62-66)

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