丸の内の朝、奥多摩の夜
2014年春のある時期、僕は毎週火曜日に『丸の内朝大学』の講座のために朝6時半に丸の内に「出勤」していた。
『丸の内朝大学』は、丸の内周辺のビジネスパーソンを対象にして開かれる朝7時半から8時半までの市民講座。専門的すぎたり資格取得を目指すような講座はあまりなくて、東京で暮らす人たちが日頃から気になっているテーマのさわりの部分を教えてくれて、生活を変えるきっかけを与えてくれる。
そこで僕らの会社が「東京の森」をテーマに講座をさせてもらうことになった。企画の打合せをしている時、事務局の岩崎さんは何度も「あまり専門的な内容じゃなくていいんです。それより座学だけじゃなくてグループワークやフィールドワークを入れて、なるべく参加者同士が仲良くなれる機会をつくることが大事です」と言った。「朝1時間の座学だけだと終わったらみんなすぐに出勤しなくちゃいけないから、友達をつくる暇もないじゃないですか」
『トウキョウ森暮らしクラス』と名付けられた3ヶ月間の講座の定員は40名で、申込開始してすぐに満員御礼となった。第一回の講座がはじめる朝7時半、新丸の内ビル9Fには、出勤前の丸の内のビジネスパーソン40名がずらりと円になって座っていた。僕たちの目論見としては、講座を通じて東京の森のファンや東京の木のお客さんをつくることだったのだが、受講者のほとんどはピクニックとかアウトドアを通じてだれかとつながりたいようで、森そのものにも森のある暮らしにも興味がある人はあまりいないようだった。
講座は5回の座学と2回の奥多摩町でのフィールドワークでなる。最後の1泊2日のフィールドワークでは各チームで考えた森暮らしのアイデアの発表と、木を使ったピクニックアイテムを制作する。奥多摩の食材を持ち寄り、ピクニックパーティを開催する。
1日目の夜に、奥多摩の真っ暗な森に囲まれたロッジの中でパーティーを開く。みんなで持ち寄ったお酒を飲み、誰かの誕生日をサプライズで祝い、満点の星を見上げながら、みんな遅くまで楽しんでいた。
夜が更けると事務局は翌日の最終発表会の準備をしていて、僕はその後の昼食で振る舞うカレーをロッジのキッチンで仕込んでいた。夜になると道路が封鎖されてしまうキャンプ場で、スネ肉とスジ肉を、ホールスパイスとパウダースパイスを間違えて買ってきてしまった僕は、スジ肉を一度煮こぼしてからトロトロになるまで煮込みながら、味付けに四苦八苦していた。飲み会から抜け出してきた受講生の女の子が大量の玉ねぎを切るのを手伝ってくれた。玉ねぎを切りながら僕はずっと彼女の会社の愚痴を聞いていて、森のこともカレーのことも特に話題にはならなかった。
僕も東京にいる間、いろいろなセミナーや講座に何度も参加者として参加した。今の僕の人生は本当の僕の人生じゃないかもしれないと思って、小さな希望を持って参加しては、その度小さな失望を覚えていた。その時すでに「東京での森暮らし」的なことを諦めて東京を離れていた僕は、東京で暮らし働きながら森を(通じた生活や人生の変化を)希求する受講生のみんなが夜遅くまで騒ぐ声を聞きながら、僕の今の生活にあるものとないものとを考えていた。
カレーの味は全然決まらなかったけど、明日になれば朝が来ればどうにかなるだろう、と思ってあきらめて3時ごろに床に就いた。翌日のカレーの味はあまり変わっていなくて、やっぱりいまいちなままだった。
毎日約28万人が行き交うという丸の内。あれから10年もたたない間に、街は大きく景色を変え、あの時の朝大学の受講生も、あの朝新丸の内ビル9Fから眺めた早朝に出勤するたくさんの人たちも、それぞれなにかしらの変化を繰り返している。受講生は講座後もそれぞれの友達をつくり、キャンプやピクニックを楽しんでいるのだそうだ。受講生同士で結婚した人もいたと聞く。
自動的に都合よく状況が変わることはないけれど、なにかを自分が決めて自分でやることで変化は起こる。それは、世界一周とかじゃなくても、同じ東京都内で少し西の森に(ホリデー快速おくたまで)移動するだけでも。
丸の内ほどではないけれど奥多摩の森も変わった。森は間伐が進み、ツリーハウスが建てられ、製材所では眠っていた製材機が動き出し、新しい乾燥機も入った。そして、奥多摩の木で、都内の保育園に通う、東京で毎日大きく変化する子供たちのための木製遊具を作っている。
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