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長谷川ちゃん

 私が小学一年生か二年生の頃、突然家に大量のファミコンソフトがやってきた。
 おそらく私が「やりたい」と言っていたのだろうが、そこまでねだった記憶はない。ただ、水色のファミコンカセット用のケースにぎっちり入った光景と、あまりのことに驚いて、顔を見合わせた姉のポカンとした表情を覚えている。たぶん、私も同じ顔をしていた。
 そのソフト群は、母が会社の同僚からもらってきたものだった。本体はまだ買っていなかったので、短期間お預けを喰らっていた状態だったが、私はカセットを眺めるだけで楽しかった。
 本体である「ツインファミコン」は、翌週くらいに母がジャスコで買ってきてくれた。おそらく例の同僚に勧められたままに買ったのだろう。ゲームのことなど何も知らない母が、ツインファミコンを選択できたとは思えない。同僚氏の素晴らしい働きに拍手である。
 歓喜した私は、当然のようにゲームにのめりこみ、当時世間一般の子どもたちがそうだったように、怒られたり、隠されたりするほどのゲーム大好き少年になった。その後も少しずつ買ってもらったりはしたが、所持しているソフトの大半がもらい物であることは変わらなかった。

 私の両親は職場結婚だった。父は退社して家業を継いだが、元同僚ということもあり、母は父と職場の話をよくしていた。
 その中で、母よりも若い男性と思われる人物が一人だけ存在した。名前を「大西くん」という。
 同僚の女性の名前は数多く出てきたが、当時はまだ女性がゲームに興じるということが少なく、ソフトをくれたのが男性であることに疑いを抱くこともなかった。姉も最初だけしか興味を示さなかったので、私はほとんど独り占め状態でゲームを楽しむことができた。
 かくして、その大西くんこそがファミコンソフトをくれた人物であると信じ、私は心の中でずっと彼に感謝を捧げてきた。

 幼少期にゲームと触れ合い、その後もゲームに囲まれて成長した私は、迷った時期もあるものの、四十を超えて、ようやく「生涯ゲーマーであろう」という覚悟を決めた。
 ただ単に一生の趣味とできるものが他になかっただけだが、現代ではゲームをメインの趣味にする人が増えているというニュースもあるし、意外と私は時代に合っているのかもしれない。
 とは言え、年を取った私には、あの頃と同じようにはゲームを楽しめないことにも気が付いている。老化は娯楽にも影響するのだ。特に今風の、新しいゲームはなんだか肌に合わないことが多く、私は次第にレトロゲームに傾倒するようになった。
 まずは実家に帰り、当時のファミコンソフトを探したが、もうほとんどが処分されていた。それは半ばわかっていたことだ。三十代の頃、母からの処分の確認に対し、私が了承したのだ。回収できたのは十本にも満たなかった。
 消沈して家探しを終えた私は、ふと大西くんの名前を思い出して、母に尋ねた。
「昔ファミコンをくれた大西くんって、どんな人だったの?」
 母は少し考えて、思い出したように顔をあげた。
「ああ、大西くんじゃなくて、長谷川ちゃんだ」
 全く知らない名前が出て、私は絶句した。誰だよ……長谷川ちゃんって。
「大人し~い人だったよ」
 質問の答えとしては間違ってはいないが、私が聞きたかったのはそこではない。聞けば、大西くん、もとい、その長谷川ちゃんは、仕事が終わっても遊びに行かず、まっすぐに家に帰るタイプの青年だった。ちゃん付で呼ばれたり「大人しい」を強調されるくらい、優男だったのだろう。
 彼は給料のほとんどをファミコンに費やしており、飽きたものをもらったのだという。それにしても、何十本ものソフトを惜しげもなく譲れるものだろうか。当時はバブル期だったとは言え、若手のサラリーマンはそんなに余裕があったのか。追加も含めて、おそらく五十本以上は貰っている。一本四千円だったとして、二十万である。
 バブルの熱狂を知らない世代である私は、そのことについて母に聞いた。当時の経済はそれほどすさまじいものだったのかと、やや興奮した。
 しかし、母から返ってきた返事は、素っ気ないものだった。
「ああ、金持ちだったからね。家がたくさん土地もっててさ」
 私の中で膨らんでいた「長谷川ちゃんは優男なのに豪気な奴」というある種の憧れと、大西くんから急遽シフトチェンジされた感謝の念が、急速に萎んでいくのを感じずにはいられなかった。
 つまり、給料は全てお小遣いとして使えたし、生活に困っていなかったので、ガンガンゲームソフトを買い、飽きたり、つまらないと思ったものは人に譲ってしまっても構わない環境だったということだ。
 
 実家から回収できた当時の生き残りのうち、私は『ドラゴンクエストⅢ』を宝物として飾っている。素晴らしい思い出もあるし、今でも大好きな作品だ。
 長谷川ちゃんがくれたソフトにはRPGがほとんどなかったし、私にくれたということは、肌に合わなかったのだろう。おかげで私はそのソフトと出会うことができた。それからRPGを中心にプレイするようになったし、だからこそ、ゲーマーとして素晴らしい体験をすることができたと思っている。
 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ複雑な想いが生じる時があるものの、その黒いファミコンカセットを見るたび、見ず知らずの長谷川ちゃんに感謝している。
 そして、母より若いとは言え、彼ももう還暦を過ぎているはずだが、まだゲームを楽しんでいて欲しいと祈っている。


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