2年間で幸せ指数が上がってた話。
2年ほど前に、海外の大学の授業が無料で受けられる「coursera」というアプリを使ってました。
当時生き方に悩んでいた私は、その中にある「The Science of Well-Being」というイギリスのエール大学の有名な授業を受けていたのですが、
授業の初めに自分の幸せ指数を測るという課題がありました。
もちろんわたしも受けており、そのことを先日ふと思い出したので、今どうだろうと同じものを受けてみました。
項目ごとのスコアとトータルスコアが1~10段階で出るのですが、これが2年前の数値。(訳が分かりづらいのは許してください)
Positive emotions(ポジティブな感情) = 4.33
Engagement(人生に対する目的意識、関与度) = 3.67
Relationships(人間関係) = 6.33
Meaning(意義) = 3.67
Accomplishment(成功/達成) = 3.67
Health(健康) = 7.33
Negative emotions(ネガティブな感情) = 5.33
Loneliness(孤独) = 3
Overall Well-Being(全体の幸せ指数) = 4.44
そして先日の結果を追記したもの。
Positive emotions(ポジティブな感情) = 4.33 → 6
Engagement(人生に対する目的意識、関与度) =3.67 → 5
Relationships(人間関係) = 6.33 → 4.67
Meaning(意義) = 3.67 → 6
Accomplishment(成功/達成) = 3.67 → 4.67
Health(健康) = 7.33 → 6.33
Negative emotions(ネガティブな感情) = 5.33 → 3
Loneliness(孤独) =3 → 3
Overall Well-Being(全体の幸せ指数) = 4.44 → 5.38
おおーー全体的によくなってる!
なぜか人間関係と健康が下がってるのですが、考え方などを中心に、全体的にスコアが上がっていました。素敵!
これは誰かに言わねばとこの話を相方にしてみたところ、いい傾向じゃん!とお褒めの言葉をもらった後、何がきっかけで変わったの?と聞かれました。
実感としても今は以前より格段に楽しく生きているなと感じているのですが、
きっかけについてはまだ考え切れてなかったので、整理がてら改めて考えてみました。
結論としては、
① 悩むこと自体に疲れたこと
② 自分が完璧である必要が全くないことに気づいたこと
③ いつでも死ねるという安心感を持ったこと
この3つがきっかけだったのかなと、今になって思います。
① 悩むこと自体に疲れたこと
まあこれはそのままなのですが、
何かに悩むことって本当に気力も体力も使う苦しい行為なので、
何年も何年もそんな苦しい時期を繰り返し経験していると、
もう悩むの疲れた、辞めたい、ってあるときから思うようになりました。
それまではただただつらい、しんどい、だけの思考だったのが、
悩むことに対して疲労感を感じだしたことで、じゃあどうやったら悩まないで済むのだろうか、やめられるんだろうかと、それまでと違った方向にも考えられるようになってきました。
まあこの思考って最悪の方向に向かう可能性もあるのですが、
幸いにも私はよい方向に向かうきっかけになったなと思ってます。
② 自分が完璧である必要が全くないことに気づいたこと
子供のころから成績が良く、周囲からも「頭のいい子」「できる子」と思われて育ったことが災いし、
自分は完璧でないといけない、周囲から尊敬されるべき人間でないといけないという意識が、自分でも気づかないほど根付いていました。
だから理想の自分とのギャップを感じた時に悩んでしまうことが多かったのですが、
人事といういろんな人の表も裏も知る仕事をしていると、
メンバーどころか役員や社長ですら、いいところも悪いところもあると身近で感じる機会がたくさんありました。
実際に自分の目でそれを見ていると、じゃあ私なんかが完璧になれるはずもないし、なる必要もないじゃんとあるとき悟ったんです。
それに気づいてから、自分ができないことに直面しても昔ほどストレスを感じることなく、素直に周りに頼ろうとする姿勢が少しずつできてきた気がします。
(これっていろんな記事とか本に書いてあることなので、何も目新しいことはないのですが、
やっぱり書いてあることを読むのと自分で実感するのでは納得度が全然違うなと感じました。)
③ いつでも死ねるという安心感を持ったこと
多分、これが一番大きいのかなと思うのですが、
メンタルのどん底にいた時、本気で人生を終わらせようと思ったことがあります。
身辺整理しなきゃとか、どうやって死ぬのが一番いいかとか、やり残したことないかなとか考えたとき、
あ、まだワーホリに行けてない、とふと思ったのです。
元々海外が好きで、一度はワーホリで海外に住んでみたいとずっと思っていたのですが、死を考えた時に唯一、それが頭に浮かんできたのです。
どうせ死ぬならやり残したことやってからでもいいか、じゃあワーホリ行ってから死のう、と思ったと同時に、
あ、私これからいつでも死ねるんだ、とも思うようになりました。
これからいつでも死ねるし、死んだらただの灰になって数十年後には誰の記憶にも残らなくなる、そう考えると
もしとんでもない失敗をしたり、どうしようもなくなったら、その時に死ねばいい、
それならとりあえずそれまでは、やりたいことやってみたり、自分の送りたい人生に向かってもがいてみるのもいいんじゃないか。
徐々にそういう思考に変わっていきました。
まさにどん底まで落ちたからこそ見えたことだなあと思いますが、
いつでも死ねる、いつかは必ず死ぬ、ということが、これから辛いことがたくさん起こるであろう人生を歩むための、お守りのような存在になってきたんです。
あまり健全な思考ではないかもしれませんが、今振り返ってもこの思考にたどり着いたからこそ、今こうして生きていられるなあと心から思います。
きっかけは上記に挙げた3つだったのですが、あくまできっかけなので、そこから2年間紆余曲折、いろいろと悩みながらやってきました。
その甲斐あってか、今は当時と比べるとある程度楽しく生きていられてると思いますが、
環境も変わってなければ付き合う人も変わってない、給料も(悲しいことに)変わってません。
今思ってもやっぱりこういうのって、自分の考え方次第なので
自分が楽しいと思えば楽しいし、幸せだと思えば幸せにだってなれる、人生ってそういうもんだなと思います。
ということで、これからも都合よく人生を解釈して、楽しく過ごしていきたいなーと思います。以上です!
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