実践結婚批判
「女の子で嬉しいわ。馬鹿な女の子に育ってくれるといいんだけれど。それが何より。きれいで、頭の弱い娘になることが」グレート・ギャツビー スコット・フィッツジェラルド 村上春樹訳
本当にそう思う。何も疑わず成長して大人になるのが一番良い。普通に働いて、普通に結婚して、普通に、フツウに。
私もフツウに結婚できたらよかったな。出会って8年、一緒に住んで3年になるパートナー。記念日に素敵なレストランを予約してくれて、おめかしして美味しいお料理とお酒に舌鼓を打っていたら、最後にとっておきのプレゼント。小さな箱を開けると大きなダイヤモンドが1粒ついた指輪が! 嬉しくてちょっと泣いちゃったりして。プロポーズの後は両家顔合わせでそれぞれの両親と仲良く歓談。結婚式はいつどこでやろう。ブライダルフェアに行って、招待する友人をリストアップして、おもてなしを考える。婚姻届はいつ出そうか。名前変えるの、大変だなぁ。
……ってなるかいな。
手塚治虫『ブッダ』を読んで結婚を決意してからはや2年。
残念ながら、馬鹿できれいで頭の弱い娘ではなかった私は頭が働き、結婚にまつわる全ての事柄を疑ってかかった。結婚の定義とは? 結婚と婚姻の違いは? 夫婦の定義は? 婚姻届を出す理由は? 効力は? 名字を変える理由は? そもそも結婚制度の歴史は? 結婚式の意味は?
ここ2年くらい毎日頭の中をぐるぐるしていて、人の左手薬指にある指輪を見て羨ましいだか哀しいだかよくわからん気持ちになり、電車のゼクシィ広告を見て煽ってくんなやとイライラし、考えすぎて頭がパンクしそうだった。
特に名字を変えることについて、私はひじょーーーうに抵抗があった。世の中のフツウは、たとえ仕事で旧姓を使い続けたとしても戸籍上は夫の名字に変える。法律婚は夫婦同氏原則となっていて、夫婦どちらかが名字を変えなければいけない。でも、私が変えるのもパートナーが変えるのも良い選択とは思えなかった。それは母のトラウマがあるから。
私の両親は事実上離婚している。母は何かと辛そうだった。仕事をしていないからお金がなくて家を出ることができず、嫌がっていたのに義父母と同居することになり、父からの暴力に泣き叫び精神を病んだこともあった。
親というのは自分に一番身近な大人だからいやでも強く影響を受けるが、その影響の受け方は教師か反面教師かの二択となる。私の場合、母は完全な反面教師だった。母と真逆の選択をしておけばきっと幸せな人生に近づく。その母が、名字を変えたことを後悔していた。
名字を変えるというのは法律婚の象徴的な行為。一度変えたら旧姓の私は社会的に存在しなくなり、もし離婚したらさらに負担が増す。結婚するときに離婚を考えるってどういうことやねんと思われそうだが、人生何があるかわからない。まじで明日COVIDー19に感染して誰にも会えず死ぬかもしれない。亡くなった人の名字を背負ってあと70年くらい生きることもできるが、それでは新しい人生を生きる選択が閉ざされてしまう。
銀行口座クレカ諸々の契約の名前を変更しないといけない実務的な負担も鑑みると、名前を変えるリスク・コスト>>>>>ベネフィットとしか思えなくて、私は結局名前を変えないため「初婚事実婚」という20代女性にしては珍しいであろう選択をしている。
びっくりしたかもしれないけど、私はこれが一番賢いと思ってる。婚姻届を出さない代わりに、ちゃんと結婚が認められるように判例を参照して、住民票の続柄を変えたり、会社に伝えたり、その辺りは抜かりなく行っている。
その他諸々結婚にまつわるあらゆる事柄を疑ってかかり、調べ、理解し、自分が納得いく選択を1つずつ積み重ねている。結婚指輪なし、婚姻届なし、自主的夫婦別姓。やってみよう、実践結婚批判。
一緒に生きていきたいと思う人に出会ったから、結婚する。ただそれだけ。
なのに壁を感じることが多々あった。親しい友人に「今度結婚式を挙げます」と報告すると、おめでとうの次に十中八九「名字は何になるの?」と聞かれた。なぜ私が名字を変える前提なのだろう。これがフツウ、か。この表層的な質問になんの意味があるのだろうか。
ちなみに私は本質的な質問、例えば「なぜ結婚しようと思ったのか」とか「2人はどのような関係性を築いているのか」とか聞いてくれたら喜びます。手塚治虫『ブッダ』を読んで結婚を決意した頃から2年経ったので多少アップデートされています。
ということでもうすぐ挙式です。家族のみ8人で、最少催行人数。
第二次世界大戦下でも結婚した人はいたし子どもを産んだ人もいた。いくら厳しい世の中でもヒトは種としての営みをやめない。もう、そういう次元ですよね。医療従事者の友人たちに申し訳ない気持ちもあるけど、感染を広げないように気をつけるので許してください。
IMAGINE...
いつか「結婚するの」という報告の後に名字や婚姻届なんていう中身のない質問をする必要がなく、自立した2人が共に生きていくと宣言することを純粋に祝福できる日。
私の選択を認めてくれたパートナーに最大の感謝を込めて。
《終わり》
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