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BCC d4 『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド

#ブックカバーチャレンジ
#一碗からのピースフルネス
#Peace_thru_Tea

2つの取組みを、横断してみようかと。GWの自由研究。
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「女の子で嬉しいわ。馬鹿な女の子に育ってくれるといいんだけれど。それが何より。きれいで、頭の弱い娘になることが」

夢を叶える。
というのは至極当たり前に聞こえるけれど、叶えられない夢がある。庶民はしょせん庶民で、貴族にはなれない。ウェスト・エッグの住民はイースト・エッグの住民にはなれない。関西人は関東人になれない。今の私が都心ど真ん中に通勤し山手線駅徒歩5分のマンションに住もうと、大阪の吝嗇で暴力的な庶民育ちであることは変えられない。
純粋に、叶えられない夢を叶えようとして、結果的に叶えられなかった。人には生まれながらにして変えられない違いがある。ただギャツビーは、夢を叶えるために純粋であった。『グレート・ギャツビー』はそういう物語だと解釈している。

夢を叶える。
というのは現時点で夢と現実にギャップがあり、努力や何らかの力によってギャップを埋めるということ。
ギャツビーの夢を「貴族になること」とすると、ギャツビーは夢と現実のギャップを埋めるために一生懸命努力する。努力はつらく、忍耐が必要。
ギャツビーは夢に近づく努力の結果として華やかなパーティを催すが、元々夢側にいるデイジーからすると理解し難く不愉快だった。ギャツビーはもう一つの努力の結果として美しいシャツをたくさん揃えるが、元々夢側にいるデイジーからすると涙が出るほど貧相な努力だった。
叶えられない夢における努力は醜く不毛。

では、夢を持たなければいい。
現実に満足し、高望みしない。きれいな、頭の弱い女の子が最善。
過去にはデイジーも夢を持ったことがあったのだ。ギャツビーと一緒になる夢。でもデイジーはギャツビーが兵役に出ている間に待っていられず、割り切ってトムと結婚した。ギャツビーが死んでも、トムと娘と暮らしていければそれで幸せ。

私も、きれいな、頭の弱い女の子に生まれればよかった。
でもそれは1920年代のお話。現代は頭が弱いと淘汰される。淘汰されても別にいい。でも淘汰されることを良しとしないのであれば、叶えられる夢を掲げて努力するしかない。

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天目茶碗が割れた。
完璧を表す天目茶碗を、割るとは、なんともやらかしてしまった。
(正確には私が割ったわけではないのだけど)
 
夢は一度壊れ、より強さを増して戻ってきた。

金継ぎしていただいたやまだあやこ様、山田浩之様に感謝申し上げます。

《終わり》

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