【無知の知】

「私は何も知らないということを知っている。」

ギリシャの著名な哲学者ソクラテスはこう呟き、賢者と呼ばれるようになりました。

ソクラテスが生きた時代ではソフィストという弁論を生業とする人たちがわんさかいました。しかし、この人たちは今でいうツイッタラーのような連中で、相手を論破することが主な仕事でした。

そんなのが至るところにいるので、ソクラテスは窮屈で仕方ありませんでした。そんなある日、ソクラテスはデルフォイという神の言葉を聞く場所にて、文字通り神託を受けます。その内容が

「ソクラテスはこの世の誰よりも賢い」

といったものでした。

ソクラテスは困り果てました。彼は自分が最も賢いなどと当時は思ってなく、でも神のお言葉なのだから間違いはないはず、この二つの考えで大きく揺れていました。

考え抜いたソクラテスの答えは、冒頭のセリフです。

「私はなにも知らない。この事に気づいているのは自分だけだ。だから私は誰よりも賢いのだ!」

ソクラテスはこの考えを確かめるべく、ソフィストたちに戦いを挑みます。現代でいう「FF外から失礼します。私は◯◯は~」という感じのクソリプ応酬です。

この戦いに勝つためソクラテスはある秘策を用意してました。それが「問答法」という話法です。

これはすごくシンプルで、相手が言ったことに対して「そうなんですね~。じゃあもっと詳しく教えてください」ってのを永遠に繰り返すのです。マジレスですね。

そうやって突き詰めていくと、どんなに博識な人間でも、結局どこかで知らないことが出てきます。それが出てくるとソクラテスは「やっぱり知らなかったんですねw.まあ、私は最初からそんなの知らないって知ってたんでww」といった感じに相手を論破した…かどうかは分かりませんが少なくともソフィストから嫌われていたでしょうね。

ここまで書いて何が言いたかったんだと、結局僕らはなにも知らないんだから見え張るなよってことを伝えたかったんです。

大人になるにつれて、ものを知らないってことは非常に恥ずかしいことだって最近常々思います。なので、僕も周りの大人たちも「自分がものを知らないってことを知られたくない」ため 必死に知識を詰め込みます。

でも僕みたいに知識はあっても知能がない人間は、頭でっかちの器用貧乏としてより一層恥をかくことになるのです。人間は誰しも自分が持てる範囲の知識とそれを使いこなす分だけの知能しか持ち合わせていません。詰め込みすぎてもバランスを崩して倒れてしまいます。

ただ、だからと言って学ぶことをやめてはいけないとも思います。学びそれを自らの幸せに代えることが出来るのが僕ら人間です。

人生とは「人として生きる」と書きます。そして人として生きるとは学び続けるということだと僕は思います。

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