自分で死を選ぶということについて私が思うこと
普段からあまり後悔はしない性分なのですが、実はもっと早く占いを使えるようになっていたらなと思うことが多々あるんです。
私は昔から何故か相談事を持ちかけられることが多く、よく人の話を聞いています。
学生時代修学旅行の夜一番楽しい時間に、彼氏と喧嘩したって泣いてる子を慰めて夜を明かしたこともあったり(笑)
いつしか「自分は人助けをできている」と自惚れてたんですね。
20代の初め、私の周りのお友達はアーティスティックな人が多く、それを表現できる場を作って遊んでいました。
そんな人達の集まりなので皆が皆繊細さんばかりで、だからこそ自分の「負」を昇華させることが楽しかったんだと思うのですが、その仲間の一人が「本当にこの場所と皆と出会えて良かった」と言って別れ、それが彼との最後でした。
自分で命を終わらせるって、生き物としての生存本能を振り切って死に向かうそのエネルギーを思うとなんて自分は無力なんだろうって思ってしまって。これもまた自惚れなのかもしれませんが。
残された者の悲しみを味わって思ったことは
大切な人の自死こそ否定すべきではないと。
大切な人の選んだ結論だから。
問題は本人を苦しめている自死を選ぶという結論に至る過程だから、私にはその過程を取り除く力がないのに無責任に生きてほしいとは言えない。
でも「またね」って次も会うつもりで別れたんだから、また会うつもりで生きてるんだから、相手にとってもそうあってほしいんですよ。
占い師というわかりやすい肩書きをつけることで、手の届く人だけでも「こんな生き方もあるよ」って提案できたら、私の「生きてまた会いたい」って願望も無責任じゃなくなるような気がして。
それで少しでも朝が来てガッカリしなくなれるんなら幸せだなって本気で思うんです。