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月に傷が付くのは必須科目なのでは
ふと、人々の月を見ていて思うのは『月が傷つく』『インナーチャイルドが傷付く』みたいなことはもう人類として生きていく上でカリキュラムに組み込まれていることなのではないかと思い始めています。
海外の方が書いた占星術の本には"月は魂"というように書かれていて、私個人としてはとてもしっくりきていまして。(どちらも一つになろうとしますよね。)
というのも、私数年前まで子供が苦手でした。なんで苦手かというと、ピュアすぎるから。眩しい。世界を信用しすぎている。って思ってた。
(世界に対する信用のなさ4室土星火星合みw)
幼少期の記憶で、同じくらいの歳の子がスーパーで欲しいものをねだって床に転げながら泣いている姿を見てものすごい嫌悪感を抱いたのですが、あれは今思うと『自分もあんな風にしたい』という嫉妬心も含まれていたんだろうなとか。
周りの"オトナ"とかいうやつらの精神的な包容力の無さに失望してオトナが求める"コドモ"を演じていたんだなと思うところがあって。
オトナってこんなもんかよつって。笑
(今は思ってないよ)
この他人が求めるペルソナを演じるのは20代後半まで続いていました。
ものすごいasc天秤と月蟹のスクエアみ…笑
ascの圧勝です。
もしかして、それぞれ皆さんの月星座の視点で『地球ってもっと良いとこだと思ったんだけどなぁ』っていうガッカリ感があったのではと思ったんです。
月蟹さんなら『もっと情動的なものを守ってくれると思ったのに』とか
月乙女さんなら『もっと清いものだと思ったのに』とか
月天秤さんなら『もっと対等なものだと思ったのに』とかとか
本当はそうであることを知っているから
でも歳を重ねて地球になれていくに従い地球の価値観に馴染んでそれを忘れたり否定してしまったりするのかななんて。
それを"汚れる"というのかもとか。
月が満たされる癒されるというのは、そういう失望感を取り除いて書き換えていく作業なんだろうなと思っています。
育ててくれた人は◯◯してくれなかった。とか、望みと真逆の事を押し付けてきた。とかそういう所から色々な方法で『自分はそうしないようにしよう』とか『自分は人にこれをしてあげよう』ってなるのかなと。
幼少期は養育者が保護することで自分の命を握っているので、ただただ受身で月星座が指し示す事柄を差し出して受身で愛情を得ようとします。養育者にそれを求められたり押し付けられたりもしたかもしれません。
しかしそれも完全に養育者の庇護下に置かれている時期だけの"処世術"なのですが、その後もそれしか手段が持てずその方法が通用しなくなってくる年頃になると欠乏感が生まれてきます。
『なんで受け取ってくれないの?なんで愛してくれないの?』です。
その欠乏感からオトナになっても愛情の不足を月の方法で埋めようとする人も多いですが、我々は月だけで生きているわけではないので自分の月の満たし方を学ばなくてはいけないのですよね。
いつまでも主観で過去の誰かを恨んでいても仕方ない。
でも、その気持ちも大切でもある。
だって、だからこそ満たされる喜びがわかるから。
それは他人に頼るなという事ではなく、まずは自分の月のニーズを知り、自分でできることは自分で。外注することは外注するなりのやり方で。ということ。
そんな気がします。
上手くまとまりませんでしたが、細かく沢山書いていこうと思っていますので、フォローやご感想などなど頂けるとさらに捗ります
(ニーズの外注です)