【ガチ書評】ロックリー・トーマス著 「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」 第一章
本投稿はロックリー・トーマス著 「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」書評である。
今回は第一章「日本上陸と信長との謁見」を取り上げる。
本章の構成は以下のとおりである。
①本能寺の変のさっくりした描写と、導入
②弥助の日本上陸から本能寺の変まで
③考察
さて、本題に移る。
①本能寺の変のさっくりした描写と、導入
冒頭は本能寺の変があった、一五八二年六月二十一日の早朝から始まる。
読者の気を引くためのつかみの部分で、ここの最初の部分だけ小説のように描写されている。
小説的な描写を省き、内容をざっくりまとめる。
弥助は小姓として信長に召し抱えられた、史上初の黒人侍であった。
本能寺の変では、信長の特命を帯びて信忠の元に行き、織田勢最後の生き残りとなり、明智勢に投降した。
そののち、イエズス会の教会に戻された。
本書は、歴史の空白のピースをほかの資料から推理して埋める、言わば歴史探偵の旅である。
冒頭ですでに虚実が入り混じっていることに注意したい。
著者がこの本で何をしたいかというと、歴史上いくつかの点しか残っていない弥助という人物の一生を、線でつなぎ、面で覆って、最終的に立体化して包みたいのだ。
そうするとほとんど原型がなくなり、通常それはファンタジーと呼ばれる。
まるで星座のようだ。
言うまでもなく、それをポリゴンで描写したのがアサクリシャドウズの弥助である。
②弥助の日本上陸から本能寺の変まで
こちらはほぼ全てが小説的な描写で語られる。
一番話題になっている記述もこちらにある。
ママ引用する。
当時日本は、法で整備された「奴隷制度」というものはなかったが、「奴隷のように扱われていた人」はいたはずである。それはおそらく、現代にもいる。
2024/07/24修正:あったようです。なかったのは黒人を奴隷とする制度です。
ここで勘違いしてはならないのは、なぜだかよく言われている、
日本がアフリカ人奴隷を世界的に流行らせた
ではなく、
九州の名士のあいだでアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ
であるということだ。
しかし、それがファンタジーであったとしても、実在している国に対してやっちゃいけない記述である。
語尾に「ようだ」を付ければ許されるわけではない。
この一部分を見ても、著者のリテラシーがかなり低いことが伺える。
当時、奴隷がどれだけカジュアルな存在であったかはのちの章で語られるが、それでもまずい。
繰り返しになるが、大事なのは「奴隷制度を国が公的に認めていたか」である。
2024/07/24修正:大事なのは、「黒人を奴隷とする制度を国が認めていたか」である。
ちなみに信長公記では、天正7年9月末ごろ「信長が人売り女を処刑した」と記述がある。
当時でも人身売買は極刑に値する罪であったのだ。 2024/07/24修正:少なくとも信長は極刑に値すると考えていたようだ。
トンデモな善意に基づいて解釈すると、
権威の象徴としてアフリカ人奴隷を(奴隷ではなく家臣として)使う
であるが、この文脈でそう読むのは難しい。
話を戻す。②の要約としては、①を著者が厚く虚実入り混じりで小説のように描写しており、突っ込みたい箇所は多々あるが原文より長くなりそうなので大半を割愛する。
ここでは、①で書かれた信長の特命について記述がある。
それは、「自分の首と刀を明智に渡してはならぬ、信忠に届けよ」という内容である。
本能寺の変が発生した当時、弥助は信長と一緒におり、
信長が弥助に特命を下す
信長が切腹→蘭丸が介錯
蘭丸が切腹→弥助が介錯
弥助→織田の残兵に信長の首と遺体を任せ、信長の刀のみを持って妙覚寺へ
と書かれている。
明智勢による本能寺の包囲を抜け、妙覚寺に向かう箇所をママ引用する。
まるでゲーム終盤の高難度ミッションである。これを成し遂げた人物がいたとすれば、必ず文献に残っている。
特に信長公記には必ず残るはずだが、そんなくだりはない。
違和感を箇条書きにしてみる。
・信長が弥助に特命を下す
→無茶ぶりにもほどがある。弥助はキレていいところ。
・弥助は本能寺を抜け出した
→明智勢ザル過ぎでは
・弥助は妙覚寺に到着
→明智勢ザルs(略)
・文献に弥助の本能寺から妙覚寺までの活躍が記された箇所がない
→本当にここまでの働きをしたか疑問
これだけの違和感があるのだったら、
弥助はそもそも本能寺におらず、信長が焼き討ちされたと聞いて妙覚寺or二条城に向かった
とした方が自然である。
③考察
ここの冒頭で、いままでの記述が物語形式であったことが語られる。
ほかには、信長と信忠の墓がどうだとか、時代背景だとか、どのように都合よく想定したかが書かれている。
読めば読むほど、「これを史実だとかノンフィクションだとかよく言えたな」という思いでいっぱいになる。
ただ、この本をピュアに読んでしまうと熱量に圧倒され、「実際そうだった」と思ってしまうのもわかる気がする。
もはやこれは書評じゃなくて解説じゃないかいという指摘はさておき、次は「第二章 弥助の経歴を紐解く」を取り上げる。