鈍感。
『○○さ、明日部活の試合なんだって?』
そう聞いてくるのは俺の彼女の梅澤美波。一緒に下校している途中にそう問いかけてきた。
「あ、うん。言ってなかったっけ」
『聞いてないよ』
「そうだったっけ。まぁでもそういうこと。明日試合なんだ」
美波は少し寂しそうな表情を見せた。付き合っているとはいえ部活の試合にまで顔を出す必要はないだろう。
『なんで言ってくれなかったの』
「別に、理由はないけど」
『ふーん』
そう言って美波は足元にあった石ころを蹴飛ばす。遠くに飛んだ石ころはころころと溝へと落ちていく。それ以降の会話はない。
この頃、俺たちは倦怠期ってやつな気がする。
何が倦怠期でなにが熱愛期?なのかは知ったこっちゃないけれど、昔に比べるとスキンシップの頻度も会話も格段に減った気がする。デートもしなくなったし、今日一緒に帰るのも久々だ。
『○○はさ、試合に彼女が来て欲しいなって1ミリも思わないタイプ?』
美波は歩きながら虚ろ気にそう言った。
後ろで組まれた手は長くて白くて、バレーのユニフォームが入っているであろうビニール素材のバッグがテカテカと光る。
「来て欲しいとは思わなかったな…。てか、美波はバスケに興味ないだろうし…」
『バカ。』
突然美波は足を止め、俺に顔を向けた。そして大きな声でこう叫ぶ。
『…バカ‼︎バカ‼︎本当にバカ‼︎何にも分かってない』
彼女の瞳は力強くありながらも少し儚くて、西へと沈み出した日の光で赤く煌めいていた。
『私、○○の彼女なんだもん。○○とできる限り一緒にいたいし、○○の友達にも認められたいし…○○が他の女の子に水とか蜂蜜レモンとか貰ってるの想像したくない…』
彼女の目が潤み始める。
『バスケ部のマネージャーの美月可愛いし、クラスでいっつも美月は○○のこと話してるし、もう、何信じたらいいか分かんない…』
ふと○○の頭の中で山下の言葉が甦る。
『○○って、ほんっと鈍感だよね。パス来ても気づかないことあるし、彼女に対して素っ気なさすぎるし』
『私が○○の彼女だったら速攻振ってるかもなぁ』
『梅さ、○○のこと好きみたいだよ。告白しちゃいなよ』
俺が美波に告白をしようと決心したのも山下からの助言がきっかけだった。
『ねぇ、○○…』
改めて向き合った美波の視線は俺の視線とぶつかり合う。
『好きって言ってよ…』
彼女がそう言い終えた時には俺は既に彼女のことを抱きしめていた。
人の目なんか気にせずに、ただ美波のことだけを考えて、その柔らかい肌をギュッと包み込む。
なんだよ、倦怠期って。
自分が美波の気持ちを応えられてないからって勝手にそうやって決めつけて。美波は俺のために色々考えてくれたのに、俺は美波のために何もしてあげることができなかった。言葉一つかけることさえも疎かになっていた。
「美波、好き。大好きだよ」
『もう遅いよ』
俺が「倦怠期」という都合のいい言葉で片付けていたせいで、美波の想いは既に俺に向けるものではなくなっていたのだろうか。
「明日、試合で待ってる」
『…』
美波からの返事はなかった。
"ビッーーーー‼︎‼︎"
試合終了のブザーがなる。ブザー前のシュートは結局決まらなかった。
「お疲れ、○○」
「惜しかったよ」
「また次頑張ろう」
試合は互角の戦いの中で負けてしまった。点数は55対53。もし最後、俺が決めていたら試合はまだ続いていたのかもしれない。
「てか、○○の彼女来なかったな」
流れる汗をタオルで拭き取っていると部員の1人がそう言った。
「え?」
「いやだってさ、昨日の放課後さ梅澤から"明日の試合の場所はどこ"って聞かれたんだよ。来ると思うじゃん」
汗を拭き取る手が一時停止する。
「お前、なんかあったの?」
試合が終わった直後だというのにも関わらず、部員の雰囲気は俺に対する疑問で包まれていた。この状況からも部活への熱度の低さが伺える。
「…いや、別に」
俺はそうとだけ言って、敵チームと挨拶を済ませる。
…美波。
…美波。
…美波。
………
……
…
『よっ‼︎』
試合が終わり、解散を遂げた後、会場の自転車置き場へと歩く途中、マネージャーの山下が話しかけてきた。
「なんだ山下か」
『なんだってなによ。てか、今日調子悪かったね。シュート率もイマイチだったし動きも鈍かった』
俺はそんな気はしていなかった。いたっていつも通り。確かにシュートが上手く決まらないことも多かったが許容範囲だったと思う。
『なんかあった?』
山下の右手には会場内に設置されていたセブンティーンアイスのブドウ味。
俺はそれを手に取ってちょっとした段差へと腰掛けた。
『まぁ、とりあえずお疲れ』
山下の声を合図にアイス同士で乾杯する。そしてアイスの紙の部分を剥がそうとする。しかし、上手く剥がれない。
『もう笑何やってんの』
苦戦する俺を見て山下は笑いながら紙をめくるのを手伝ってくれた。顔がすぐそこにある。少しだけでも動けば触れてしまいそうなほど。
『っおし、とれた。結構むずいんだね。ほれよ』
山下から再度受け取ったアイスに口をつける。疲れた体に広がる甘酸っぱい酸味が身体を癒してくれる。
「んまっ」
『フフ笑美味しそうに食べるね』
山下との時間は居心地が良かった。高校一年生の時からマネージャー1人でバスケ部を支えてくれたバスケ部の立役者。こいつなしで高校生活は語れない。
山下はいつも自分のこと以外のことを考えながら行動する。そしてすぐに人の変化に気がつく。こうやってアイスをくれたのも俺と美波が上手くいっていないということを悟ったからだろう。
『で、梅と何があったの』
落ち着いた口調で山下は口を開いた。
『まさか別れた?』
「そんなわけ」
『良かった』
「でももうヤバいかも」
山下の表情が険しくなる。そして心配そうにこちらを覗き込む。
『ど、どういうこと?』
「美波に悪いことした。今日試合あることだって昨日伝えちゃったし」
『…それだけじゃないでしょ』
「美波を抱きしめた。その…成り行きでね。でもダメだった。」
その他にも美波が試合に来たがっていたことなど事細かに話した。その話を聞いた山下は俺の答えが予想と反したのかいつもの余裕は見せずに考え込み出す。
『…昨日の間にそんなことが』
「試合前に何やってんだよって感じだろ?」
『本当にそう。前日くらいバスケのこと考えとけって感じ』
「どうしようもないよな、俺」
そんな俺の頭に山下はそっと手を置いた。
そしてポンポンと撫でる。
「…」
『○○はどうしようもない人じゃないよ』
頭から少しずつ身体が温かみを増していく。山下の小さな手が脳みその詰まった俺の頭を包み込んで離さない。
「山下…」
『梅も辛かったと思う。好きな人に興味を持たれないことがいっちばん辛いことだって私は知ってる』
「…うん」
『でも…○○は梅のことちゃんと考えてるでしょ?』
『本当は今日だって梅に来て欲しかったでしょ?ちゃんと見て欲しかったでしょ?』
「…まあ本当のところはそうだね」
『あんたたちはまだ終わったわけじゃない。まだまだ高校生なんだし、気軽に楽しめ青春を!』
急に元気を取り戻した山下に俺は喝を入れられる。
『ほら!早く!梅のもとに行きな!』
「いや、梅のもとって言われてもどこいるか…」
『た・ぶ・ん、この体育館の二階らへんにいるんじゃないかなぁ…?』
俺は山下のニヤつきを尻目にして一瞬にして駆け出した。
*
『もう…大好きじゃん梅のこと笑』
『…はぁ…』
『…これだから。○○って鈍感だわ。』
『ここまでしたんだから…好きだって気づいてよ』
「…どこだ」
あてもなく走り続ける。会場の入り口、体育館の二階、駐車場、どこを見ても美波の姿はない。
「…いるわけないか」
既に日は暮れ始めている。影が段々と大きくなってカラスの鳴き声が響きだす。
「はぁ…はぁ…」
疲れが息に現れる。体育館からはいまだにバッシュのすれる"キュ"という音が聞こえてくる。
俺はその場に座り込んだ。
その時だった。
『○○…‼︎』
声が聞こえた方に顔を向けるとそこには確かに美波の姿があった。
「…美波」
美波は思っていたよりもラフな格好をしていて汗をびっしょりかいている。
「美波…なんでこんな汗…」
俺はリュックサックからタオルを取り出す。そしてポンポンと彼女の汗を拭き取る。
『…お疲れ様』
ひっそりと彼女の唇が動く。小さな声だったが確かに彼女の声は伝わった。
「うん、負けちゃったけど」
『ごめん、見れなかった』
「勝ってたらあともう一試合あったんだけどね」
俺が笑いながらそうやって自笑したが彼女は真顔なまま視線を合わせたままだった。
「…み、美波はいつ来たの」
『さっき』
美波は肩を上下に動かして息が上がっている状態だ。
「自転車で?」
『…うん。道わかんなくて、ずっと迷ってたらこんな時間になっちゃった』
この会場は美波の家から10キロは離れている。それなのに美波は家から自転車でかけてきてくれたというのか?
その事実を自分からは語らず、頑張ったアピールをしないところが美波らしい。
「…り…がとう」
気がつくと涙が溢れ出していた。
『え、ちょ、○○⁉︎なんで泣くのよ…。』
美波は俺が持っていたタオルを使って涙を拭いてくれた。
「嬉しくて…美波が。美波が試合に来てくれたことがめっちゃくちゃに嬉しいんだよ…」
語彙力が欠如した俺を美波は暖かい瞳で見つめる。
『フフ笑私のこと大好きじゃん』
そう言ったまま、俺の身体は彼女の胸に包まれた。
俺より少し小さい彼女の頭が口元にある。
『私やっぱり、○○のこと好き。大好き。昨日はごめん、帰っちゃって』
「ううん、俺が悪いんだ。美波に俺は何もしてやれてなかったから…」
『私も、○○のこと考えずに自分のことばっかり口にして…ほんとごめん』
抱きしめたまま耳元で聞こえる美波の声。これ以上に心地よいものは他にない。
「…これからも、一緒にいてくれますか」
『勿論だよ。私こそ、一緒にいたいもん』
その瞬間、2人の影が口元で重なり合ったことは2人以外の誰も知らない。
多分。
END