海外で働くということ(番外編2): 国による違いって
残念ながら、土木系の外国人労働者(インドとかパキスタンとか)から来ている人たちの寮でクラスター化してるみたいで、連日感染者数の人数更新しているシンガポールですが、まあそれでもちょっと前まではいろいろ厳密なルールと徹底力でだいぶ健闘していたほうだと思います。日本語でシンガポールの現状を書いてくれている人はちらほら見かけるので、そちらを参照してもらった前提で、別な観点で思ったことを書いてみたいとおもいます。
日本のニュースをざーっとみてて、日本らしいなぁと思える政府の対応をみてて思うんですが、シンガポールと日本って何がちがうんだろうと、サーキットブレイカーで食料とか買いに行く外出以外は禁止となってるので、時間にゆとりがあり考えてみました。
憲法上で緊急事態に関する私権を抑えることができないとか、そう言った法学的な話は専門外なのでなんとも言えませんが、個人的に感じるのは国ととかそう組織やらが、住民とほどいい距離感をもっており、そして管理統制し、そして変化する世界を生き抜くという観点において、シンガポールっていうのはちょうどいいサイズなのかなとよく思います。
というのも、結局のところ、日本は国、都道府県、市町村という形の組織が3レイヤーある大企業であり、首相はサラリーマン、都知事は支店長みたいな感じで、権限と現場の間で揺れ動き、その目線のすり合わせで意見の対立や調整でちょっとしたことをするにも時間がかかる。例えば新型インフルエンザ特措法に基づく緊急事態宣言の宣言タイミングですら、現場である都道府県の長たちが考えているタイミングと全然ちがうわけですし、宣言した後にもどういう風に執行するのかについて、休業要請の対象とかですら揉めて時間がかかっていたわけです。
かたやシンガポールは、オーナー社長で比較的業績がいい中小企業なわけです。なので各省庁=執行機関であり、国の意思決定=執行レベル=現場という感じで、実態から国の決定までが一元的に行えるという形になっているのです。シンガポールのルール厳しさや徹底っぷりについては、今に始まったことではないので、もともとの特徴でもあるのですが、この特徴を日本という国が好み、そして、法律がそれに適していたとしても、同じぐらいの機敏さで3レイヤーもある大きな図体の日本を動かすのは困難でしょうし、逆に言えば、そんな法律や特製であった場合に今日の日本というのは存在しなかったようにも思えるので、鶏卵みたいな感じの話になりますね。
シンガポールに住む前までは、こんなに日本という国を外から見るとか、または比較する対象がなかったので、ダメなもんだよなぁとか思ってたところも多かったのですが、こう言った世界規模で問題が起こり、生活が一変してしてしまっているのなかで、改めて基本的な違いを認識もてて、なかなか考え深かったです。