『華氏119』 リバタリアンの映画評 #4

政治への幻想

私たちは何か社会問題が起こると、政治に期待しがちです。「政府が何とかするべきだ」「政治の力で解決してほしい」と声を上げます。政府はそうした声を受け、待ってましたとばかりに法律を作ったり規制を強化したりします。けれどもそれは正しくありません。世の中に政治の力で解決できる問題はほとんどないし、政府の介入はむしろ問題を悪化させます。

ドキュメンタリー映画『華氏119』(マイケル・ムーア監督)で、ムーア監督は怒りを込めて、ミシガン州フリントで起こった水道鉛汚染やフロリダ州パークランドの高校で発生した銃乱射をはじめとする、現代米国の社会問題を告発します。何がそれらの問題の正しい原因かはともかく、ムーア監督の怒りは理解できます。理解できないのは、問題を解決する方法として、ムーア監督の頭の中に政治しか存在しないことです。

ムーア監督は共和党のトランプ大統領を批判する一方で、大統領選の対抗馬だった民主党のクリントン元国務長官やオバマ前大統領も大手金融機関から多額の献金を受け、癒着していると正しく指摘します。そこまでわかっていながら、ムーア監督が次に期待するのは、結局は政治です。国民皆保険や労働組合との連携強化など、より社会主義的な政策を唱える民主党の新人候補たちにエールを送るのです。

米国で医療費が高騰し庶民を苦しめるのは、医療が政府の規制でがんじがらめになり、十分な供給がないからです。国民皆保険にしても解決しないのは、社会保障の財政悪化にあえぐ日本を見れば明らかでしょう。真に必要なのは規制をかいくぐって優れた医療サービスを提供する起業家ですが、この映画に登場するのは政治運動家ばかりで、自ら価値を生み出す起業家は見事なくらい一人も出てきません。社会問題を解決する第一歩は、政治への幻想から覚めることです。

(東京・TOHOシネマズ シャンテ)


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