4月、変化がない日々の日記
結局4月はまるまる1カ月が在宅勤務、テレワークになった。途中どうしても必要な物を取りに1回(2~3時間)ほど出社したが、それだけだった。
家に居続ける時間は何も変化がない。
元々新しい物が好きだという自覚はあったが、変化がないという事がここまでしんどい事だとは思わなかった。
ここで言う「しんどい」は、「つらい」「きつい」「苦しい」とも違う、徐々にライフを削っていく、それでいて最大HPも下がっていく、何か滓のようなものが心の底に溜まっていくような。何かいい表現はないか、できるだけシンプルな言葉で、程度の意味しかない。
とにかく、朝起きて朝食を作り、英語の勉強をし、仕事を始めてSlackやメールでコミュニケーションしたり、資料を作ったり、割り当てられた作業を進めたり、昼食を作ったり、スーパーに買い物に行ったり、Zoom会議をしたり、ストレッチをしたり、夕食を作ったり、英語学習をしたり、、
スーパー以外は家から動かず、スーパーにしても家から半径150mほどに2~3軒あるのをめぐる程度だ。
狭くてしんどい。
幕藩体制を変え、廃藩置県により日本人が移動の自由を(とりあえず)獲得してからまだ150年足らずだが、その自由のために戦った人に心から謝意を表明したい。マジで福沢諭吉ありがとう。マジで感謝してるからたくさんうちに集まって欲しい。
元々両親もアウトドア派で、幼稚園や小学生の頃にはキャンプをしたり、山でバーベキュー、渓流で釣りをしたり、寝台特急や子供一人で飛行機に乗れるサービスなんかを使って福岡に帰ったりしていて、大人になっても深夜バスで東北に行ったり、雪山や、特に告げずにフラッとバイクで西に向かったり、フェリーに乗ったり、とにかく家では寝るかテレビを見るかくらいの生き方をしてきたので、行動半径を狭められるのがとにかくしんどい。
生まれつき汗っかきだからスーパーに行くのにマスクを付けて帰ってくる頃にはベタベタになっていて、消費スピードが速いのもしんどい。あと鬱陶しい。これからもっと暑くなると思うとさらに気が滅入る。
4月上旬には両もみあげを髭が繋げ、口ひげも繋がり、ベロで髭を触れるようになってきた。
外に出ないという事は外見にも気を使わなくなるという事で、コロナの結果売れなくなったものランキング(ワースト)30位に化粧品やアパレルが多く含まれているのも納得する。
良かったことは料理のレパートリーが増えた事だろうか。きっとクラシルやデリッシュキッチン、クックパッドのPVは激増していることだろう。
買って炒めた豆苗もまた育ち、また炒めて食べられるのが嬉しいし、料理は化学だしクリエイティブだし楽しい。
あとは家でトレーニングとして、キックボクシングのオンラインレッスンを受けているが、これが死ぬほどしんどい。
すでにしんどい生活をしているのに、そのしんどさを解消するために、地獄のようにしんどい(主に筋肉が)ことをするなんて、人間は不思議な生き物だな、なんて思いながらコーチの「もう1セット!」を遠くに聞いている。
先日は余りにもストレスが溜まり過ぎたのか、携帯電話にかかってきた不動産営業の電話に「これだけ不動産が爆下がりしている時に誰が買うか!」と愚痴り倒した。
まぁ爆下がりしていなかったとしても、僕らのところに「おいしい話」なんて降りてくる訳がないので、ガチャ切りするだけなのだが。
※そういえば、開業医など個人でお金を持っている人が引っかかって大阪や神奈川の駅前のワンルームとかを買っちゃって塩漬けになっているらしい。
仕事の合間に本を読んでも集中が続かないことが増えてきたし、Amazonプライムで映画を見ても盛り上がらない。映画館で観たいのだよ、僕は。
そう言えば、ステイホームとは「家にいる」という意味ではなく「三密を避ける」を分かりやすく伝えた言葉なので、必ずしも家から出てはいけないという意味ではないのだが、自宅の周りには高齢者も多いのでちょっと気を遣う。
まぁマスク無しでブラついても、それなりのガタイで髭もじゃの俺にワザワザ文句を言ってくる酔狂な人はいないんだが。。。
こういう時はリアルだけじゃなくSNSでも弱い者がさらに弱い者を叩くだけの世界になっているし、頭のいい人をバカにする捨て垢が出たり、頭がいいと思っていた人が知見の無い分野に突撃して無知を露呈してしまったり、そういう人間力が試されている世界になっているので、遠くから眺めるか無視するのが一番いい。
いつも不思議になるが、そうまでして赤の他人に興味を持って無関係の人に文句を言ったり自分の正義の枠にハメたり、自粛憲兵のような事をしている人を見ていると、やはり人間は1人では生きてはいけないんだな、と少し鬱屈した気持ちになる。
自分にとって大切な人やモノやコトをもっと大切にするべきで、関係ない人が何してようと自分には関係ないし、立場が違えば正義も違うし、ネット上でどれだけ全能感に浸ろうとそんな感覚はまやかしでしかなく、バカはずっとバカだし、結局は中川淳一郎さんの本のタイトルのようになってしまう。
これの主語が「すべてのメディアは」とならない事を願っている。
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