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昭和が終わった日の記憶

正確には覚えていない。小学生だった。ただ、あの時は昭和天皇の崩御(という言葉も大人になってから知ったのだけど)とセットだったからか、日本全体が沈黙したようなムードだったと思う。

実際に天皇の崩御から何日後に平成になったのかはよく覚えていないし、元号なんてものに興味は無かった。ただあの3日間のつまらなさは色濃く覚えている。

街が止まる。
店が閉まる。
テレビが全チャンネルニュースでスーツを着たしかめっ面をしたおじさんが何かを喋っている。

コンビニが閉まるなんてことがあるのか、と衝撃だった。学校帰りの日課だった立ち読みが出来なくて仕方なく家に帰っても、テレビはつまらないおっさんしか映っていない。今思うと、テレビ東京は何かアニメでも流していたのかな? と気にはなるけど、当時の記憶では4,6,8,10,12チャン全てがスーツのおっさんだった。

インターネットがい時代のエンタメと言えば、テレビとコンビニと駅ビルと新聞の4コマ漫画、あとは友達と遊ぶゲームくらいしか無かった日常生活が、急に止まってしまった。

学校や塾で何を話していたかはよく覚えていなかったが、元号なんか気にしているやつはいなかったし、それよりもゲームや友達の話、目の前の勉強の話くらいしかしていなかったと思っている。

当時の勉強の範囲では昭和天皇の名前は第二次世界大戦の最後、途切れ途切れにラジオから聞こえた玉音放送くらいにしか出てこないし、子供の記憶にも途切れ途切れだ。

しばらくして平成になったらしいと塾で社会担当の阿藤先生が小渕さんのマネをして「平成!」とA4のボードを立てていた。

変わったことと言えばテストを受ける時や受験する時なんかに誕生日を記入するところに「平成」って選択肢が増えたくらいで、子供心に(生まれててもまだ0歳だろうに。。。)と思ったのを思い出した。

あと昭和64年の10円硬貨が貴重で高く売れるからと、どこで売れるのかも知らないままに、ギザ十と共に探しては貯金箱に入れていた。


うちの一番下の妹は平成生まれだし、その後も平成生まれは増えているけど、個人的には昭和との違いはほぼ無い。

世の中でイメージされている昭和が、ぼくが生まれるよりも前の話や物心つく前の話ばかりだから。バブルはジュリアナっていう言葉でとんねるずのコントで見たような気がする。


そんな途切れ途切れの記憶くらいしか残っていないし、ほとんどの人にとって生活と直接的な繋がりが無いのが元号の変更だろう。

ここ最近のメディアでは、平成は「失われた」「衰退の始まり」「ピークを過ぎた」なんてネガティブなワードで表現されているけれど、それは「たくさんの閉塞感でつぶされそうな人たちによる次の時代へ込めた期待の表れ」なんじゃないかなと思っている。

もう前の時代の遺物に引っ張られるのはたくさんだって。


なんてったってこのインターネットで世界が繋がった現代において日本だけでしか通用しない話だ。だからと言って無くせばなんてのは思わないし、元号の変更があっても無くても時代はゆっくりと、でも確実に変わっていく。

時代の流れを先取りしていく人も、取り残される人もたくさんいるけど、元号の変更はひょっとしたら取り残された人たちを強制的に次の時代に移す役目もあるのかもしれない。

「もう平成じゃないんですよ?」


ネガティブな印象だった元号の変更が、今回は少し明るく感じるのはいいことだなぁ。

国会議事堂や首相官邸から今の職場が近いからか、拡声器で叫ぶ声が聞こえるが、なんて言っているかは聞き取れなかった。



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菊永きくりん
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