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音楽が持つ意味

新時代のジャズムック誌として人気を集める『Jazz The New Chapter』シリーズ。私がAmazonに寄せた同シリーズ最新刊のレビューを、著者である柳樂光隆氏がご自身のTwitterやInstagramで取り上げてくださいました。ここで着目したのが音楽の持つ「意味」です。それは歴史の中で積み重ねられてきたもの。もちろん今の未曽有の危機も、今後、音楽に新たな意味を付け加えていくことになると思うのです。

音楽の意味を問う
ー『Jazz The New Chapter 6』レビュー

 社会的な価値観が「機能」から「意味」に移る中、音楽の世界にも同じような流れを感じる。例えば本書の「はじめに」で柳樂光隆氏が言うように、音楽映画に現れる演奏シーンひとつを取ってみても、決して雰囲気だけで済ませるのではなく、その時代や場面に即した理論や技法がしっかりと用いられるようになったのだ。それはただ史実としての正しさを求めるだけではなく、今、その音楽を聴くことの意味を作り込む。

 踊るためのスウィングだったり、社交場を盛り立てるためのビバップだったり、ラジオのBGMとしてのスムースだったり、ジャズは100年の歴史の中で、時代時代の要請に応える形で様々な「機能」を提供し続けてきた。それはどうしても経済と切り離して考えることが出来なかったけれど、社会が経済的な豊かさを享受した今、ようやくアーティストがアートとして本来的な「意味」に立ち返れるようになったと言えるだろう。

 だから今のジャズは面白い。

 この流れを追い続けているのが『Jazz The New Chapter』シリーズだけれど、その最新号である本書からは変化の加速を感じる。例えば、西アフリカのリズムに立ち返りアフリカン・アメリカンの尊厳を主張するクリスチャン・スコット(Christian Scott)や、自然への回帰から非西洋科学に傾倒するソランジュ(Solange)、合唱という表現技法からキリスト教を顧みるジェイコブ・コリアー(Jacob Collier)と、その方向性は様々だ。本書はそれぞれの音楽を聴くだけでは解りきれない「意味」を語ってくれる。そこにはもちろん歴史との接続があるわけで、これを知れる喜びは大きい。

 またその文化を育む土壌にまで踏み込むところが、柳樂光隆氏のオリジナリティだ。それはスナーキー・パピー(Snarky Puppy)が主催するフェスや、イギリスのアーティスト支援の仕組みとして紹介され、シーン全体を立体的に捉えることができる。間違いなく、唯一無二の一冊である。

そして、今

 特に日本において、この価値観の変化が意識されるようになったのは、2011年の東日本大震災がきっかけではないだろうか。圧倒的な自然の力を前に私たちは、自分たちが制御しきれないテクノロジーを頼ってまで利便性を求めてきたことの愚かさを、身をもって知ることになった。そして、以降、多くの人々が本当に大切なこと、すなわち自分たちが生きることの「意味」を考えざるを得なくなってしまったのだ。もちろんミュージシャンも例外ではない。

 当時を振り返ると、今と似たような状況が起こっていた。そこまで被害の大きくなかった東京でもイベントの類は自粛され、何より海外からはアーティストが来日しなくなってしまった。一方で彼ら彼女らは犠牲者を追悼し、残された人々を励ますために、多くの楽曲やメッセージを届けてくれたのだ。

 全世界が危機を迎えている今回は、誰もが被害者である。それでも自分たちのできることを探し、例えばライブが中止となったジェイコブ・コリアーやスナーキー・パピーといった一部のミュージシャンは、同じように家から出られないアマチュア・ミュージシャンに対して、オンラインで楽器のレッスン講座を開いたりもしている。これはきっと生活のためだけではなく、ファンサービスとしての活動だろう。音楽が根底に持つ、喜びや悲しみ、祈りという感情を他者と共にする力は、演奏のテクニックだけではなく、思想として人から人へと伝搬されていくのだ。

 アフターコロナ(コロナの後)という言葉も聞かれるようになったけれど、今回の事態が収束した後には、また様々な考え方が生まれてくるだろう。それらを色々なミュージシャンが取り込み、また歴史として紡いでいく様子を楽しみに、今を何とか乗り切っていきたい。

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「2章 暗黙知と形式知 ー他人との情報の共有」において、思想のような暗黙知が継承されていく様について触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。

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