見出し画像

ハラブジャ25周年

25年前の1988年にイラク北部の町ハラブジャで化学兵器が使われた。使ったのは当時のイラクのサダム・フセインの独裁政権。化学兵器を浴あびせられたのは、ハラブジャのクルド人。1980年代はイランとイラクの戦争の時代であった。1980~88年、両国は血みどろの戦争を戦った。仕掛けたのはイラク。1979年の革命で混乱したイランを簡単に打ち破ることができると考えたからであった。

イランに侵攻したイラク軍は、国境沿ぞいの領土を奪うばったものの、イランの抵抗は激しく、やがてイラク軍の進撃が止まり、戦争は長期化した。今度は人口に勝るイランが体制を立て直して反攻に出た。イラン軍がイラク国境地帯に侵攻したのだ。イラク軍の防衛線が危機に直面した。イラクは、この段階から大量の化学兵器を使用するようになり、国境地帯のイランの民間人に対しても化学兵器が使われた。この事実を知りながら、アメリカは黙認した。イラクの敗北がみずからの国益に反するとの考えからだった。そればかりか、衛星から撮影した写真を提供してイラクを助けた。イラクはなんの制約もなく自由に化学兵器を使いつづけた。

ここから先は

987字 / 3画像

¥ 300

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?