子供がスポーツしているのを見守る親の気持ち②
昨日は、子供が野球の練習中に、締まらないプレーをしたり、ふざけたりしたりするのを見て、腹が立って、人前で叱ってしまった話を書きました。
結論として、
「プレイしているのは息子、ふざけて怪我するのも息子、コーチや仲間に叱られるのも息子。それで悔しい思いをして悲しむも、そこから心を入れ替えて、練習に励むも全ては彼自身の事。選択。」
親である私には直接的に関係がないわけです。
アドラー心理学でいう、「課題の分離」というやつですね。
学んで分かっているつもりでも、実践はなかなか難しいんですね。
なぜか?
じゃあ、なぜ僕は腹を立ててしまったのか?
世のお父さんも同様にそう思ってしまうのか?
そこには、親の欲求が隠れています。
それは何か?
認めたくはないんだけれども、
『他の親御さんから、ウチの息子の躾がなっていない、と思われたくない。』
実は、息子の事を思って叱っているように見えて、
本当は、親自身が周りの人から、子供をちゃんと躾けしていないと言うことで、評価を下げられるのを恐れているのです。
これを知った時はかなりショックでした。
ですが、よくよく考えるとそれは当たり前で、
親が出ていく場面ではないわけです。(練習の運営を手伝っているとしても。)
子供も普段の親の言動から、そういうところを分かっているのではないか?
(親が周りの人から評価を下げられたくないから、自分を叱られている。)
そんなふうにも思います。
また、
子供が失敗から何か学ぶ前に、または学んでいる最中に、親が先回りして、子供を叱り、無理矢理に反省させ、何かをやらせようとすること、
それも子供の成長の機会を奪っていることに繋がります。
こういう事をすると怪我をする、チームメイトから嫌われる、コーチや他の保護者の方から、冷たい視線を向けられる、、、。
そう言うことを体験を通じて学ぶのも社会経験の一つ。
今の時点で身をもって理解し、そういった欲求を満たしておくことで、少しずつ、「やって良いこと、悪いこと」の自分なりの判断基準ができて来るのだと思います。
僕に叱られた後の息子のふてくされたような、ちょっと黙ってよ的な言葉にならない、不本意そうな表情は
おそらくそういう親自身の自己の評価を気にするがあまり、理不尽に子供をしかってしまっていることに対しての、悔しさだったのかもしれません。
1日が経過した今日の朝、息子に昨日の事を謝りました。
子供は「別にいいよ。」と短く言って、素っ気ない感じでしたが、学校から戻ってくるといつもの調子に戻っていました。
こうして何度も子供に許してもらいながら、親自身も成長していくんだろうなぁと