競うことは悪いことか?
競うことは悪いことか?
今日の少年野球の練習では、「遠投」の記録会をしました。
最近、学校でスポーツテストがあったことから、良い記録が出た子、そうでもない子、全然気にしていない子それぞれだったのですが、
野球チームのみんなと行った遠投大会は思いの外盛り上がっていました。
全員が4回位は投げていたと思います。
うちの息子ももちろん張り切っていました。
スポーツテストの時は23メートルだったのが、今日の最高記録は34メートルと10メートル以上記録が伸びたようです。
記録の良し悪しはともあれ、それぞれが一生懸命、今現在のベストを出し切った記録会となりました。
そんな中、息子と同じ3年生の男の子が最後泣いていたので、どうしたのかと様子を伺っていたら、どうもその子は同じ3年生の部員の中では一番記録が悪かったので、悔しさのあまり泣いてしまったようでした。
競っていた雰囲気ではなかったのですが、一人ひとりの記録をとっていたため、自ずと人との違いが分かってしまうため、悔しい気持ちが湧き出てきたのだと思います。
普段、キャッチボールや藻類、バッティングなどからも、力量の差は見て取れるはずなのに、そういうところの差は気にならずに、数字として記録に残ると、悔しさが込み上げてくるという感覚もとても興味深いです。
泣いていた男の子は、「絶対に40メートル投げてやる!」と帰り際に気合の入った言葉を残していましたが、さて、この悔しさをバネにして、今後練習に熱が入るのかどうか?
今どきの子は、あまり勝負事に執着しないのかと思っていましたが、実際はそうではなさそうです。
少なくとも息子に関して言うと、50メートル走の記録他、スポーツテストの種目の記録に関して、殆ど、無頓着の様子で、聞いても、「よく覚えていないけど、〇〇くんには勝った。」みたいな答え方をして、非常に曖昧です。
このあたりまた、今後の様子を伺いながら、今どきの子供たちの「競うということ」に対しての感覚を理解で出来たらと思います。
「みんなでなかよく、みんな一緒」
そんな雰囲気がある学校の現場ですが、子供たちの内側で沸々と燃えている、「情熱、やる気」に火をつける、それにはやはり、上手く出来なかった経験、悔しかった経験も大きく影響を与えていることでしょう。
息子にもなにか「挫折」みたいな経験がどこかでできればいいのにと思いながら、また日々の生活の中であるがままを見守っていきたいと思います。