なぜ争いは生まれるのか?カンボジアとタイ国境にまたがる遺跡は誰のもの?
今回の旅の目的地、カンボジアの遺跡の街「シェムリアップ」には夕方に到着しました。
翌日からは丸二日間をかけてシェムリアップ近郊の遺跡を巡っていきました。
アンコールワットにアンコールトム遺跡群(バイヨン、象のテラス、ライ王のテラス、ピミアナカス etc)、タ・プロームなど、初日は朝4時起き、夕方まで文字通り遺跡三昧の1日です。
*遺跡の写真をいくつか掲載します。雰囲気のシェアまで。
初日の遺跡巡りの後半戦、すでに遺跡を見ることに対して飽きが来ている息子に、うんちくがてら、とある話を始めました。
半分タイの血を引き、タイのパスポートを持つ息子としては絶対に気になると踏んで、わざとこの話を振ったのです。
「ここから4時間位車で行ったところに、カンボジアとタイにまたがって建っている遺跡があるんだけど、そこはタイ人は入れないようになっているみたいなんだね。」
「そこはプレア・ヴィヒア遺跡(Preah Vihear)というんだけどね。」
「どうしてだと思う?」
息子に対してそのように問いかけると、息子は興味津々に話に食いついてきて、
「わからない、なんで?」
と聞いてきます。
はからずも、ここでも「国境」がテーマとなりました。
実際はもっと複雑だと思いますが、シンプルに言えば、フランスが決めたカンボジアとタイの国境線画定が曖昧だったのが原因です。
少しだけ背景を説明します。
もともと19世紀初頭の欧米列強の東南アジア進出以前、シャム(タイの昔の呼び名)はシェムリアップを含む現在のカンボジアの領土を支配していたのですが、フランスの進出によって領土縮小を余儀なくされ、領土を割譲後、カンボジアはフランスの植民地となりました。
その折の国境線画定が曖昧で、この遺跡が国境線上にあり、(正確には遺跡への入り口はタイ側にあった) そして遺跡についての領有権は、当時、詳細に合意されていなかったこともあり、その後100年以上に渡り両国の領土問題としての禍根を残すこととなりました。
(これは今現在も続いています。)
その後、実際にこの地域はカンボジア領とされていたのですが、植民地化を免れたタイは第二次世界大戦後、フランスが撤退し、カンボジアが独立後も、この地域を実効支配していました。
(タイにとっては100年以上前とは言え、フランスから割譲させられた地域として、本地域に対して相当な禍根があったはず。)
それを不服としたカンボジア側は国際司法裁判所に提訴し、1962年にここは正式にカンボジア領土と認められました。
それだけならまだ良かったのですが、元々国境画定が曖昧だった地域に位置するこの「プレア・ヴィヒア遺跡」を世界遺産に申請し、それが認められてしまったため、タイ側が猛反発し、国境軍事衝突にまで発展し、死傷者まで出る事態に悪化してしまいます。
(2008年と2011年の軍事衝突時は特に、両国の関係がめちゃくちゃ悪化しました。)
それを受けて、2013年には寺院周辺の土地を含めて、カンボジアの領土であることを国際司法裁判所が正式に認めたことで、一旦の決着を見た形にはなっていますが、タイ人の多くはこれに不満を持っているのが現状と言うところです。
上記のような背景もあって、タイ人の寺院への入場はセンシティブなものであるため、避けたほうが良いということになるのです。
話を息子との会話に戻します。
「元々100年以上前はタイの土地だったところに、1000年前位に建てられた遺跡があって、今はカンボジアの土地となっているんだよ。」
「だけど、ここはとても有名で重要な遺跡なので、タイもここはタイのものだと譲らなくて、少し前には軍隊が出て、戦闘になって怪我人や死人も出たんだよ。」
「だから、カンボジア人も、タイ人もここの寺院に対しては特別な想いがあるので、タイのパスポートを持ってここに行くのはちょっと難しいんだよ。」
「わかるかなぁ?」
そんな感じでできるだけわかりやすく背景を説明しました。
すると、
そんな! カンボジアって酷いね!悪い国だよ。
もうカンボジア大嫌いになっちゃったよ。タイのものを奪ったんだね!
返してもらわないと!
かなり感情的になっていたので、なだめるように質問の角度を変えてみました。
「じゃあ、どうして戦争(争い)って起こると思う?」
息子は少し黙っていましたが、このように答えました。
「それは、相手が悪いことをしたから、それをやっつけるためにすると思う。」
だったら、悪いことっていうのはどうやったらわかると思う?
だれが決めるの?
そんなふうに質問していったのですが、このあたりから話がややこしくなってきました。
なので、身近な例を挙げて頑張って説明してみることにしました。
例えば、晃(息子の名前)が大事にしているぬいぐるみを、お友達が勝手に奪って返してくれないとするね。
そしたら、悪いのはそのお友達っていうことで、とてもわかりやすいね。
だけど、こういうケースはどうだろうか?
キッズルームに行った時、そこにあったボールを使って遊んでいたら、
「それ僕のだから、使ったらだめ、返して。」
3歳位の子にそう言われたら、どう思う?
ボールはキッズルームのものだし、晃のほうが先に使っていたのだから、晃が悪いとは思わないけれども、あとから来た彼もいつもそのボールで遊んでいるんだろうし、小さな子だから仕方ないと思って、彼にボールを渡して、晃は他の遊具で遊ぶこともできるし、
「僕が先に使っているんだから、だめ。」と断ることもできる。
色々とできることはあるよね。
「だめ!」と断ったら、その子は泣いてしまうかもしれないし、泣くだけじゃなくて、怒って叩いてくるかもしれない。
お父さんはその子の方が悪いと思うけど、だからといってその子を晃が攻撃していいかと言ったら弱いものいじめはだめ、と言って横で見ていたお母さんから叱られるかもしれない。
晃はどうしたらいいと思う?
色々と難しいよね。実際は。
喧嘩が起きる理由って様々だけど、戦争っていうのは、国と国との喧嘩のことで、色々と背景もあるし、それぞれに言い分があるんだよ。
だから、どちらが悪いかっていうことはなかなか明らかにすることは難しいし、明らかになったからといって、0−100で決められるものでもない。
力関係もあるし、誰が間に入るかにもよるし、色々と。
そんな感じで説明すると、息子はわかったような、わからないような不思議な顔をしていましたが、
だけど、やっぱりカンボジアが悪いと思う。
だって、タイから奪って自分のものにしたんだから。
タイ人も普通に行けるようにするべきたと思う。
そう言っていました。
彼の主張は非常に的を得ていると思います。
実際に今、タイの首相からも公式にカンボジア政府に対して、タイ国境からもタイ人始め、外国人観光客がプレア・ヴィヒア遺跡に入れる様にして欲しいと打診しており(フリービザで)、領有権はともかくとして、この重要な観光資源を両国の利益のために共有すればよいと、僕自身も思います。
という訳で、国境超えの話から、国際紛争についてまで、生きた事例とともに息子に伝えることができ、本当に実り多い旅となりました。
あと何回こうして息子と旅ができるのかは正直分かりませんが、機械的に有名観光地を訪れるだけでなく、背景も踏まえて、易しく、かつ面白く伝える力というものももっと磨いていきたく思います。
そして立派な国際人(地球全体をフィールドとして活躍する人)として成長していったらと!
国境超えの話については前回記事で書いていますので、興味があればチェックしてみてくださいませ。
https://note.com/t_kanemoto55/n/neb8808f03ac2
子供との旅行は学びばかりで本当に興味深いです。