◎「教える」と「伝える」の違いは何か?
息子が野球のルールを覚えたいと言い始めました。
正直、僕はルールを教えてもらった記憶はなく、
勝手に覚えたので、どうやって伝えようか結構悩みました。
今はどうかわかりませんが、僕らの時代には、
夕食後は、お父さんがテレビで野球中継を見ていたので、
それを横で一緒に見ていたので、野球のルールもそれとなく自然と覚えてしまっていました。
インフィールドフライとか、タッチアップとかそういうちょっと特殊なルールは別途教えてもらった記憶はあります。
それはそれとして、、、、。
とにかく、これまではこちらから先回りして、
「教えよう」として、ことごとく失敗していたので、
今回、息子の方から言い出したこの機会は、
僕にとっても大きなチャンスですから、逃さずに、しっかりと「伝えたい。」と思っています。
これでもまだ作為的な感じもするのですが、それでも意識は大きく異なります。
先程、わざと大げさに、「教えよう。」と「伝えたい。」を強調して書きましたが、これには大きな意味があります。
私達は、とかく、子供に「教えよう。」としてしまいがちです。
子供が望んでいるか、いないかはお構いなし。
ほとんどの場合、親が「よかれと思って、子供に「教えて」」しまいます。
子供の方は特に興味もないので、上の空で聞いてるかもしれないし、お父さんお母さんがしつこく言ってくるから、仕方無しに話を聞いているかもしれません。
親が子供に、勝手に教えていながら、「ちゃんと聞きなさい!」と怒ったりすらします。
子供としてはたまったもんじゃないですよね。
前提として持っておきたいのは、
これは子供が知りたいことではなくて、「親が」子供に教えたいことなのだということ。
「親が」の部分を「社会が」、「国が」に置き換えてもいいと思います。
教えるとは上下関係があり、教えられる側のことは無視されているのです。
そういう意識があれば、どうすれば良いのかは自ずと見えてきます。
別に子供の機嫌をとったりするということではありません。
準備をしたり、タイミングを待つということが大切だと思っています。
ウチの息子は少年野球のチームに入って、月に2,3日練習に参加しているので、
僕はてっきり、
「息子は野球が好きで、試合に出て、試合で勝ちたいと思っている。だから、野球のルールを知りたいに違いない、」
と勘違いをしていました。
だから、先回りして、野球のルールを
「教えよう。」としてことごとく失敗してきました。
当の息子は、野球のゲームに興味があるのではなくて、
友達とワイワイ体を動かしたかったり、
野球の基本動作の、ボールを投げたり、補ったり、打ったりという個別の動作の上達に対してモチベーションがあったわけでした。
だけれども、何度か紅白戦を経験していくにつれて、
「野球の試合」という流れとチームプレーということに徐々に興味が移ってきたようで、
そして今回、息子の方から、
「野球のルールを知りたい。」と言ってきたわけです。
ここでようやくタイミングがやってきたので、
僕はわかりやすく野球のルールを「伝えたい」と思います。
野球のルールと言うものが、僕と息子で「共通の関心」になったわけです。
ここに上下関係はありません。
「僕は息子に野球のルールを伝え(伝えたい)、そして息子は覚える。(覚えたい)」
教えようと思うとどうしても力が入り、相手が思うように理解をしてくれないと、非常にイライラしてきます。
ですが、伝えようとすると、相手にうまく伝わっていない感じであったとしても、それは相手の理解力が低いからと決めつける前に、
「自分の伝え方」が適切かどうか、そういう、相手に対しての配慮が生まれてくるように思います。
教えると、伝える。 ちょっとした違いですが、どちらの立場を採用するかによって、
親子間コミュニケーションにおいては非常に大きな違いを生みます。
子供とコミュニケーションを取る時に、「教える」ではなくて、「伝える」という意識で接した時にどういう感覚になるか、試してみて下さいませ。
それはそうと、息子にどうやって野球のルールを伝えていこうか、、、。
それについてはもう少し悩む必要がありそうです。(苦笑)