大橋愛 "arche" について
大橋愛が「arche」の撮影を開始したのは2015年、箱根大涌谷で噴火が発生したことがきっかけだった。最初に撮った写真は噴火の影響で葉が枯れてしまった山肌の一枚。それから4年、幾度となく箱根に通い撮影を続け、その作品をまとめた個展の開催にこぎつける。
そのオープニング・レセプションを開催した数時間後の2019年5月19日午前2時15分、大涌谷の火山活動が再び活発化し、噴火警報のレベルが2に引き上げられ、大涌谷はこれを書いている現在も立ち入りが規制されている。大橋愛展「arche」は期せずして何か因果めいた船出となった。
写真展は主に大橋さんが小中高を通じ通った函領(かんれい)白百合学園と、箱根の自然を写した写真で構成されている。函領白百合学園は太平洋戦争中、東京九段の白百合学園が箱根の強羅に開いた戦時疎開学園が元となり設立された。困難な時代に幼い子供達を連れ、東京のど真ん中から箱根の山の上に脱出、そこで様々な困難に直面しつつも、キリスト教の精神に根ざした教育を行なってきた学校だ。
その学校を卒業し社会に出てから、大橋さんは付き合っていた彼を自死で失うという辛い体験を経て、自分が色々なものに「守られてきた」のではないかと考えるようになる。そして自分が幼少の頃に多くの時間を過ごした母校とその周辺を写真に撮ることで、「守られること」というを可視化しようとしているのが本展だ。
ミッションスクールが子供達と共に、箱根という土地に疎開するエピソードは、ノアの箱舟を想起させた。展覧会のタイトルが自然と「arche」(アーシェ:箱舟)に決まると、色々な要素がジグソーパズルのようにピタリと繋がっていった。(メインビジュアルには、たまたま大橋さんが撮影していた、生徒が作るあやとりの「舟」の写真を採用した)
しかし「守られることの可視化」というテーマを写真で表現するのは簡単ではなかった。都市部から離れた箱根の強羅にあるカトリック女子校という、少々特異な世界を撮影しつつも、大橋さんの個人的な思い出からは距離を置くことが大切だった。その一方、誰にでも容易に共感され、ノスタルジーを喚起させるイメージもテーマを見えなくする。結果、大橋さんのトレードマークでもあったシャボン玉は封印し、より繊細な写真で、教育、キリスト教、箱根の風土などを軸とした展示を構成することになった。大橋さんも会期スタートギリギリまで撮影を行ない、どんどん新しい作品を提供してくれた。
大橋さん自身は、厳しい校則や片道2時間の通学時間も含め、学校生活に対して何も辛いと思ったことはなく、幸せな学園生活を送ったと述べている。展示を観た方からは、奈良原一高の「王国」を連想したという声も多く、やはり一種の理想郷だったのではないかと思う。しかし当然、この生活を誰もが真似できるわけはない。(敷地内にはたまにイノシシも出るらしく、その際はとにかく走って避難するとのこと)私は大橋さんの写真展、写真集の編集作業を通して、都市生活者として今後、どのような環境を子供に提供できるのか、とぼんやり考えていた。
そんな中、2019年5月28日、川崎市の登戸駅付近の路上で、私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生の児童や保護者らが男に相次いで刺されるという痛ましい事件が起こる。私立の学校のスクールバス登校、しかも保護者がそばにいる状況は、私としてはこれ以上ない安全な環境に思えたので、小学生の子供を持つ親としてはかなりのショックを受けた。(カリタス小学校は函領白百合学園の姉妹校でもある)守るということを、今後も引き続き考えていかねばならない。
「arche」で言いたいのは、「昔は良かった」ということではない。函領白百合学園は現在も存続しており、大橋さんによると子供達は今も変わらず楽しく学んでいるとのこと。ギャラリーの入り口に積み上げられている落ち葉は、実は大橋さんがその生徒達にお願いして、昨年の秋に校庭の落ち葉を集めてもらい、保存していたもので作った子供達とのコラボレーション作品だ。桜ともみじが多く含まれており、ギャラリーには桜餅のような良い香りが満ちている。
大橋 愛 展|arche
POETIC SCAPE
2019年5月18日(土)− 6月29日(土)
水~土 13:00-19:00|日・月・火 休廊
*イベント開催のため、6/1は17:30クローズ、6/29は15:00オープン
協力:函嶺白百合学園小学校