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インディアナ大学 修士卒業制作のオンライン・レビュー

昨夜、写真家で米国インディアナ大学の教授でもあるオサム・ジェームス・中川さんの依頼で、インディアナ大学MFA学生の卒業制作作品のポートフォリオ・レビューをzoomで行なった。MFA はMaster of Fine art(美術学修士)で、学生といいつつ、実際はすでに学校で教えている人もいて、作品はレベルの高いものだった。以下簡単ではあるが、その4人の作品を紹介したい。

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美と醜の同居が指摘する、人間行為の矛盾
"What I Saw in the Water" by Seth Adam Cook

2010年に発生したメキシコ湾原油流出事故を題材にしたSeth Adam Cookの作品。イメージ・トランスファーの技法を用いて写真を別の支持体に貼り付け、その画像を時に剥ぎ取り、または別の素材を塗り重ね、グロテスクなテクスチャーを獲得している。ドス黒く分厚いマチエールは海に流れ出た重油の、そしてアーティストによる一連の加工が、人間による自然への暴力的な操作のメタファーとなっている。しかしながら、作品自体はある種の美しさも同時に宿していて、とても魅力的だ。この醜悪さと美しさの同居もまた、この作品を単純明快な自然破壊糾弾作品から、人間行為の普遍的矛盾に言及する多層的な作品へとフィニッシュさせていると思う。

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自らを解放するための写真破壊行為
"Erased"  by Scott Allen Whitworth

「お前を養子にしなければよかった」幼い頃、母(養母)からそう言われる。実際母親との関係はうまく行かず、彼は消し難いトラウマを抱えたまま大人になった。Scott Allen Whitworthは、残された家族写真から、熱と薬剤を用い自分の姿を消す(Erase)することで、かつて母親が言い放った世界、すなわち家族に自分が存在しない現実を作り出そうとした。

幼い頃の家族スナップを破壊するという行為自体は結構定番なのだが、今作が秀逸なのは、破壊した写真そのものではなく、その破壊のプロセスを記録したmovieを作品にまとめ上げたことだろう。本人にとって破壊している行為や、その時間自体に大きな意味があるからだ。また、とりわけ薬剤を使って写真を溶かす反応が美しく、個人的には破壊というより、少年が一旦粒子化し、別の理想的な世界へと旅立っていくような、ロマンチックな感覚を思えた。Whitworthが認めるように本作は極めて個人的な作品ながら、同じようなトラウマを持つ人々にとって、ある種の自己解放を促すセラピー的な可能性をも感じた。

古い女性観に対する美しくも強烈なアンチテーゼ 
"She was/She is/She isn't" by Morgan Stephenson

アメリカ南部に根強く残る、理想化された白人女性像をテーマにしたMorgan Stephensonの作品。日本人の私は本作のテーマである「Souhtern Lady」がどういうイメージなのか知らなかったが、要するに「男のために良き女、良き母であれ」というような、かなり保守的な女性観らしい。Souhtern Ladyが着る典型的な衣服をMorgan Stephenson自身が着用し、様々な、そして多くが窮屈そうなポーズをとって撮影、そのイメージを布にプリントし、ステッチでつなぎ合わせて制作している。

実際の作品は長さ3メートルほどと大きなもので、そのサイズが重要と感じた。小さいと手芸的な作品に矮小化されてしまったかもしれない。実際の展示では壁や天井から吊り下げられ、鑑賞者は作品の合間をすり抜けながら鑑賞し、この時代遅れな価値観について作者から問われることになる。
この作品を目にした時、どことなく教会の天井画を連想した。南部の女性に要求される理想像(もはやイデオロギー)が宗教観にまで及ぶと知り、あながちこの連想も間違ってはいないと思った。

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身体と場のメタファーとしての壁
"Seven Eight Five" by Nicole Wilson-

壁を設置し、破壊、その穴をまた修復し、撮影するというNicole Wilsonの作品。修復と言ってもガーゼを縫い付ける作業は、壁穴の修復というよりも人体のギズを治療しているようだ。Nicole Wilsonは家庭内暴力を受けた経験を持っている。この壁は暴力を受けた自身の肉体的、精神的な延長であり、かつ安全の象徴でもある家の壁に穴を開けることで、「Home=サンクチュアリ」という概念に疑問符を投げかけている。

作品は様々な工程を経て、最終的に楮(コウゾ)のペーパーにプリントされている。壁という重厚な素材感、その上の白いガーゼ、そして半透明のコウゾペーパーの取り合わせの効果、そして幾重にも重ねられた入れ子状の構造が、物質とイメージの境界線を曖昧にさせる。

先に述べたScott Allen Whitworthと同様、本作は作者自身のトラウマを元にした自伝的作品だ。Nicole Wilsonは「壁」に一連の暴力と回復のプロセスを施し、それをさらに写真で記録している。この複雑な手続きを経て、ようやく自らのトラウマを客体化し、自己の救済を試みているように感じた。

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以上、4名の作品はいわゆる伝統的な写真の枠組みに収まらない mixed media 的作品だったが、写真を単なる素材としてではなく、そのミディアムの特性(記録性、迫真性など)を要所に用いている印象を受けた。

James氏によると、今はこのようなフィジカルな作品を作る学生が多く、また彼自身もその姿勢を励ましてきたとのこと。(昨年東京都写真美術館で開催された「イメージの洞窟」展におけるJames氏のインスタレーション作品を思い起こさせる)しかし、また今後はこの潮流にカウンターを浴びせるストレートフォトの作品も出てくるだろうと言っていた。

本来であればこの4名は、インディアナ大学の素晴らしいギャラリーで、クオリティーの高い展覧会を開催しただろう。もっとも世界中のアート学生が、今同じような悔しい思いをしているはず。微力ながらここで紹介させてもらった。
いつかどこかで彼らの作品が、もっと多くの人の目に触れることを願って。

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