白の中身を見たいんだ
暑かったり、涼しかったり一体いつになったら天気は安定するのでしょうか。前回から変わらず半袖がまだまだ現役です。もう、11月に入ったっていうのに。
今回は、先日投稿したgood morning N°5 のVOGUESが千秋楽を迎えましたので中身に触れながら話をしていこうと思います。
私とgood morning N°5のある種衝撃的な出会いとVOGUESについては以下のリンクからどうぞ。
※注意※ この記事はgood morning N°5 VOGUESのネタバレを含みます。
それもまた絶望である
VOGUESが無事千秋楽を迎えた今、私は得体の知れない虚脱感に襲われています。今も画面に向かいながら、本当は思いのままに書きたいのですが全く進まない。書いてしまえば、本当に自分の中でVOGUESが終わったことを認めて受け入れてしまうような気がして。受け入れたら、この幸せな時間がもう戻ってこないような気がして。寂しいのです。いや、絶望と言うべきかもしれません。
good morning N°5の皆さん、VOGUESの出演者の皆さんは私のような初めての人間にも「いらっしゃいませ!」と心地よい挨拶で迎えてくれました。そしてその会場となった趣あるザ・スズナリ。自由に飲食しながら、心地よい音楽には手を叩き、笑いたい時には声を出して笑える。開かれた誰にでも優しい演劇でした。
VOGUESを1回目観てからすっかりその魅力に取り憑かれた今回。下北沢に足を運ぶ週末が楽しみだったし、元気な挨拶、澤田さんの軽快なトーク、中村さんの音楽、目まぐるしく進む出演者の方々の台詞、その全てで元気にさせてもらいました。
その楽しみが、元気にしてくれたものがない日々なんて絶望以外の何でもない。そう、絶望です。
でも、
そう、ハサ美お母ちゃんも言ってましたから幸せで楽しかったVOGUESを振り返って、この思い出を大事な絶望の闇をひっぺがえすナイフにしようと思います。
チャットGPTは流行を作れるか
この作品は、タイトルのVOGUESから連想させるファッションショーのような衝撃的なビジュアルと音楽からスタートします。
段ボールで作られた上半身だけを覆う甲冑のような衣装(?)に、白い靴下、顔には美容系インフルエンサーの投稿で見たことあるシリコーン製のフェイスマスク。
段ボールの衣装にはそれぞれアルファベットが前面と背面に1文字ずつ。
何を意味するアルファベットか分からないまま、出演者の方々は音楽に合わせて踊ります。理解が追いつかないまま曲は終わり、澤田さんがステージ上に登場して、語りが始まります。
語りの内容は今回の舞台、VOGUES =流行や、はやりを切り口に、澤田さんが発症した「若いグループアーティストの顔が分からない」病から現在の流行についていけない、ではそのついていけない”流行”を網羅しているのは誰なのか、という問題提起です。
澤田さんの語りに合わせて流行を表す英単語を出演者の皆様が、テンポ良く舞台上で組み立てていきます。そこで初めて段ボールの衣装につけられたアルファベットの意味を理解します。出演者の皆様の動きはまさに機械のよう。それは語りの中にでてくる最先端技術のチャットGPTを模したよう。ファッションショーのようなマスゲームのような一糸乱れぬ動き。
語りの中で、流行を網羅しているのは、最先端の知能を持つAIでないかと仮説を立てます。チャットGPTが今最も賢く、最先端だとするならばそのチャットGPTが生み出すものもまた最先端の流行であるというのが澤田さんの仮説です。
では、実際にチャットGPTに脚本を書かせてみよう。出演者の皆さんがステージからいなくなった後、チャットGPTと澤田さんとのやりとりが行われます。
澤田さんとチャットGPTの会話で提案された「絶望」をテーマにした脚本を実際に他の出演者の方が演じます。
この作中のチャットGPTと澤田さんとのやりとり、なんと本当に澤田さんとチャットGPTとの現実のやりとりだそうです。それを本当に演じるなんてなんとも最先端。
作中のやり取りでは場面や、キャラクター設定などある程度きちんと数少ない質問でチャットGPTは脚本を作り上げていきます。
正直そのクオリティに驚きました。これだったら確かに、チャットGPTで小説を書くことも珍しくない。これだけのものを作り上げられるチャットGPT凄すぎる。
しかし、漠然とした質問に対してチャットGPTは漠然としたものしか返せない。こちらの意図を汲むことはできない。残念ながら演じられた脚本は、あまり面白いと思えないものでした。形にはなっている、そう、形には。
それで本当に流行作品が作れるのか。おそらく答えは否。そこが人間の創造との1番の違いでしょう。漠然とした主題の中に、意味合いを込められるのが人間、そこにデータ以外の実感としての感情があるから。
でも、そこで諦めない、GPTとは決別しない。諦めたら終わりだから。この物語は絶望と一緒に諦めない大切さを教えてくれるような気がします。
絶望の奇襲攻撃
チャットGPTによる最先端の脚本を面白いと思えなかった絶望を味わった後は、目眩く澤田育子ワールドの本格的な幕開けです。
中村中さんによるロックチューンが劇場に響き渡ります。主演の富田さん、鈴木裕樹さん、千代田信一さんが気持ちよくスタンドマイクで歌い上げます。御三方、とっても歌が上手い。コミカルな振付もありながらノリの良いよりワクワクした気持ちにさせてくれる音楽から一転。
舞台の照明は暗くなり市川しんぺーさん演じる、母のハサ美が高い場所から富田さん演じる自らの息子、葉太郎を見下ろします。
場所は、葉太郎が勤める恥ずかしい仕事の職場。葉太郎にとって、自らの職場で母と出会うことは想定外。しかも母はただ、葉太郎の母として葉太郎の目の前に現れたわけではありません。葉太郎が勤める恥ずかしい会社の代表取締役社長として葉太郎の目の前に現れたのです。
就職活動に失敗した葉太郎は、日々を食い繋ぐために恥ずかしい仕事をする恥ずかしい会社に契約社員として勤務していたのです。その中で、恥ずかしいと思いながらも少しずつ結果が出てきて、周りの同僚にも認められていた葉太郎。ようやく、自分の存在意義を見つけられそうになった矢先、会社の表彰式で社長として出てきたのが自らの母であったことに絶望します。
葉太郎はその目の前にいる母に幼い頃から言われ続けていたことがあります。
絶望に導かれないために、母のハサ美は葉太郎に希望を持つことを諦めさせてきた。それは母である、ハサ美なりの愛情でした。しかし、夢は諦めるものである、さすれば、絶望することはない。そう、教えられた葉太郎にとって期待していないはずの職場に社長としの母が現れ絶望を突きつけてきたのです。こんなはずではない。
しかし、葉太郎はわずかに期待していたはずです。初めて、表彰されるとなったこの機会にもしかして、全て諦め切った人生だったけど好転するかもと。
この後葉太郎は絶望の奇襲攻撃です!と母に言い放ちますが、果たして奇襲だったか。
そして、母ハサ美は葉太郎にその絶望を切り裂くように命じます。絶望はあっという間に世界になってしまうと。葉太郎は母の言葉のあと、母を滅多刺しにするのでした。
絶望が流行
衝撃的な幕開けを迎える物語は、その後も絶望と母の愛情を澤田さんの視点で、面白く、時に考えさせられる展開を描きながら進んでいきます。
このVOGUESの開幕を迎える前に、ステージナタリーの記事で澤田さんのコメントに「今、私の中で流行っているのは『絶望』だ」とあります。
絶望が流行ってなんだ。私は、そう思いました。絶望なんて、人間が遠ざけて生きていきたいものが流行だなんて、どういうことか。しかし、それは澤田さんにとっても同じことだったのだと思います。絶望は、避けて通りたい。絶望は、人を強くしない。絶望を知ると、人は弱く萎縮し、先の見えない闇に囲まれる。そして、歩みを止めてしまう。
生きている時間が長くなれば、なるほど絶望に出会う確率は上がっていくし、絶望に会いたくないと願うことが増えるような気がします。
実際に、私自身も前から決して前向きな性格ではなかったですが、年を重ねることに、毎日どうしても落ち込んでしまう、それは色々なことを考えることが増えたから。これ以上、小さな嫌なことが積み重なって、前が見えなくならないようにしたい。それを諦めという名の思考停止で、回避している日々でした。
でも、VOGUESを観てからそれでも良いのかもしれないと思いました。完璧な人間なんていない。人間として生きているなら、きっと誰しもどこかが完璧じゃないどこか完璧を求めてしまいすぎる私には、その小さな気付きが毎日を少し前向きに生きれるようになるには十分でした。
自分で自覚し、他人にも言われるほど、生きづらい性格をしている私。自分のことはもちろん人のことも許せない。いつも人の些細な言葉に傷つきながら生活して、だからその何倍も人を傷つけまいと、言葉を選んで言いたいことを言えない日々。意見を言ったら、言ったで自分は不利にならないか、言った相手のことは傷つけてないか、いつまでも気にする。人に何かを言われたら、いつまでも勝手に傷ついてメソメソしてる。そんな人間です。毎日少しずつ傷ついて、毎日少しずつ落ち込んで、少しずつ視野が狭くなって、うまく物事を考えられなくなる。
私はVOGUESを初めて観た時、物語の全てを理解することはできなかったです。これを書いている今も。だけど、確実にこの作品は私にとって必要な作品だったんだと思いました。だから、あんなに何回も劇場に足を運んで何かを求めるように食い入るようにその世界観に浸かったのだと思います。
日々、大なり小なり絶望を感じながら生きている私にとって、絶望の中にいる人間をかつて絶望したことがある人間が救い出す、この作品はまさに私を救ってくれた作品だったのです。
だから、この作品の上演が終わった今、何にすがって生きていけば。とも思ってしまうのです。だけど、絶望を超えたら、ユカイでヘンテコリンな生き物になれる。この先にも、絶望はあるしここが人生の終わりではない。まだまだ、きっと私には出会うべき人も、出会うべき作品もある。
そのいつか出会える楽しみを、期待してそして、時に絶望して生きていこうと思います。
でも、間違いなくVOGUESは私にとって絶望の闇をひっぺがすナイフです。この作品をお守りのように、胸にしまって生きていこうと思います。
VOGUESを劇場で見ることはもう叶わないけど、またあの素敵な世界に出会えます。
公演のDVDが11月7日まで予約できます。もちろん、劇場で観るのが最高ですが、ご興味あるかたはぜひこの機会に。
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