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あなたにもう一度逢う

皆さん、こんにちは。
今回は今年見た映画でいちばんの映画をご紹介します。

映画 i ai

GEZANのフロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーさんが監督・脚本・音楽を務めた今作。監督にとっては初映画監督作品ということで、ファンにとっては新たな表現のひとつとしてたまらない作品なのでは、と思いました。
撮影はプロカメラマン佐内正史さん。制作スタジオはスタジオブルー。主演は全感覚オーディションと銘打って開催されたオーディションによって選ばれた富田健太郎さん。オーディションへの応募総数は約3500人。まさに勝ち取った主役でした。
作中のキーパーソンとなるのは森山未來さん。その他脇を固めるのはさとうほなみさん、小泉今日子さん、永山瑛太さん、吹越満さんと錚々たるメンツ。

私がi aiと出会ったのは2年前の東京国際映画祭。アジアの未来部門で出展されていた作品の一つとして観劇したのが最初でした。
有楽町の映画館でi aiを見た時。その時の衝撃は今でも忘れられません。何気なく生きていた日常に訪れた、突然の出来事。横断歩道を歩いていたら、大型トラックと正面衝突したかのような衝撃。
見た後に脳が揺れ、涙が勝手に出て、心の中に突然大きな穴が空いて。映画を見て咽せるほど泣いたのはあの時が最初で最後でした。

燦然と輝くヒー兄という男

映画i aiの中で圧倒的な存在感を放つのが森山未來さんが演じるヒー兄という男。
映画はこのヒー兄と富田健太郎さん演じるコウを軸にストーリーが進みます。地元で人気急上昇中のバンドメンバーのヒー兄。そんなヒー兄に声を掛けられてバンドをやれと言われたコウがヒー兄の弟キラとバンドを始めます。
このヒー兄という男が、とにかく狂ってる。突然髪の毛を真っ赤に染めたり、瞬間接着剤で髪をスタイリングしたり、極道に喧嘩売ったり、ギターを炙ったり。だけど何よりも輝いていて眩しいのです。それがヒー兄にしかできないオンリーワンだから。
ヒー兄の輝きは、狂いだけではありません。ヒー兄が発する言葉ひとつひとつが、彼の世界を作り上げます。
ヒー兄に関わる周りの人物は要所要所でヒー兄の言葉に「何言うてるか分からん」と返します。ヒー兄の言葉は、ヒー兄以外には分からないわけではなく、ヒー兄と同じものを見れるかどうかで言葉の解像度が上がります。
初見の時は私も周りの人物と同じくヒー兄の言葉が分からなかったのですが、回数を重ねることでヒー兄がその時、何を見ていて何を感じて発した言葉なのかが分かるようになってきました。完全にではないけど、この時の言葉はきっとこれを見ていたから出たのか、と答え合わせをしながら見ているような気がしています。

ヒー兄を輝かせる周りの人物たち

今作の中で前述した通り、ヒー兄という人物は圧倒的な輝きを放っています。
しかし、2時間以上ある作品の中でヒー兄が出演しているのは前半の半分程度。たった半分の出演時間であったとしても作中ずっとヒー兄という人物の輝きは色褪せずにスクリーンに映し出されています。正直、主人公のコウを演じる富田健太郎さんの方が当たり前に出演時間は多いのですが、インパクトで言えばヒー兄の方が、圧倒的に強い。作中ずっと異常なほど輝きを放つヒー兄はヒー兄自体が輝いていることはもちろんのこと、ヒー兄を輝かせる周りのキャラクターとの化学反応があります。

主人公 コウ

富田健太郎さん演じる主人公のコウは強烈にヒー兄に尊敬と憧れを抱いています。ヒー兄という存在を輝かせるためにこれから紹介する人物は全てヒー兄に対する「尊敬」や「憧れ」があります。それは、人物によって色や形を変えるのですが、主人公のコウがヒー兄に抱く尊敬と憧れは全く濁りのない、辞書で引いた通りの意味で尊敬と憧れを抱いています。
コウはヒー兄に出会うまで、ただの労働者でした。その労働に意味はなく、ただ生活をするためだけの目的のない労働。いつもの毎日を社会の歯車として生きている。どこかで脱したいと思っていても、その脱する気力すら湧かない。そんな日々の中、突然ヒー兄に声をかけられます。
「鈍感になりや」と。
何もなかったコウにヒー兄という圧倒的な個を持った存在の出現は強烈なインパクトを与えたのと同時に、コウの心を掴んで離さなかったのです。
映像の中で、ヒー兄を表す色として赤が印象的に使われます。(マヒト監督も真っ赤。)コウを表す色は作中ではないけれど、私は綺麗な湧水のような純度の高い透明だと思います。とにかく、コウはずっと瑞々しい。鮮度の良い果物のように。コウは作品が進むにつれ、ヒー兄のように見える瞬間があります。私は、コウがヒー兄の赤を纏って自らを赤くしたのではなく、自らの透明にヒー兄の赤を反射させたのだと感じました。
この映画はずっと爽やかな瑞々しさが感じます。舞台となっている明石の街の輝きなのか、コウをはじめとするバンドメンバーの若々しさなのか、ヒー兄の血肉を感じる暖かさなのか。でも、そのひとつに富田健太郎さんという存在が確実にあります。
正直、無名の日の当たっていない俳優だと思います。でも、この難しい役を悩みながら生きて演じることができたのは富田健太郎さんだから。透明で純粋な輝きを持つ。吸収して反射するコウを生き、表現できるのはある意味、世にこの色であると認識されていない俳優さんだからできること。
富田健太郎さんという俳優が、コウを演じたことはどこか必然だったのではないかと思いました。

弟 キラ

圧倒的な個性を持って生き続けるヒー兄と対照的な弟が堀家一希さん演じるキラ。キラとコウはヒー兄によって引き合わされ、バンドを組めと言われてバンドを組みます。
常識人のキラ。作中ではヒー兄に常に振り回され、キレ散らかしている。(本当に比喩ではなく、基本的にキレてる)血の繋がった兄貴だけど、この世で最も理解できない存在がヒー兄です。キラにとっては、個性が強く、圧倒的なカリスマバンドマンのヒー兄は口には出さないけど、誰よりも憧れの存在です。憧れは歪み、素直に認めてる、尊敬してる、と口にすることは一回もありません。だけど、それが歳の近い兄弟だからなのか、性格が真逆だからなのかはわかりません。でも、確かにキラがヒー兄に憧れを抱いているのが分かるひとつが、コウとバンドを組んだという事実です。キラもコウも主体的にバンドをやろうと話をした訳ではありません。
前述の通りヒー兄との銭湯の帰り道、「バンドやりや」と言われて突然バンドメンバーになります。本当にサラッと急にヒー兄は言います。ヒー兄がキラにとって嫌悪の対象であれば、コウとバンドを組むことはなかったでしょう。バンドをやっているヒー兄に少しでも近付きたい、だからキラもヒー兄に言われてバンドを始めるのです。
もうひとつ、キラがヒー兄との接点をある種誇るシーンがあります。
ネタバレになるので詳しくは避けますが、ヒー兄の彼女のるり姉と言い合うシーンで

キラ「血が無理や言うてんねん!」

と言い切ります。
実は、映画前半でヒー兄がコウにキラを紹介するときに

ヒー兄「こいつ、弟のキラ。俺と同じDNA」

と紹介します。
あんなに何言うてるか分からんとヒー兄に言い続けてるのに、キラはヒー兄と同じ表現を用います。ヒー兄へのリスペクトが歪な形で家族だから、尊敬して後をなぞってしまって生きているから出てしまったのかもしれません。
こんなにヒー兄を誰よりも分からないと言い続けたキラが、最後にヒー兄を感じるのは作中のどの人間よりも早いというのがまた兄弟愛を感じるワンシーンでもあります。

ヒー兄の彼女 るり姉

さとうほなみさん演じる、るり姉は私が思うに作中に出てくる女性の中で一番いい女です。
どこがいい女なのか。とにかく美しい。ビジュアルの話しではなく、全てが美しいのです。るり姉の愛し方、瞳に映る光。るり姉を成す要素がビー玉のような宝石のような輝きを放っています。

映画i aiより

るり姉は、ヒー兄という狂った男に最も狂わされた女かもしれません。るり姉の人生はヒー兄に出会う前と後ではおそらく全く違う人生です。ヒー兄に愛され、ヒー兄を愛したことで見える世界が180度変わり、思い通りにいかないことも多くあった人生でしょう。それでもただヒー兄を愛した。それが理解できない男であっても。この世で最も優しくて美しい女性。それがるり姉です。

男 久我

私は、この映画で1番好きな役がこの久我という男です。ある意味作中で1番人間臭いと思っています。
永山瑛太さん演じる、久我はヒー兄とどういった関係か明言されることはありません。しかしその2人の会話や雰囲気から久我とヒー兄の関係が、ここ数日の関係でないことが分かります。
長い間絶妙な距離を保って来た2人。独自の輝きを放つヒー兄と、光を吸い続けるような久我。相反する2人は2人だけの言葉で、2人だけの会話をします。
久我もまた自分とは真逆のヒー兄に歪な憧れを抱きます。自分にはない輝きを持つヒー兄を(おそらく)昔から図らずも近い距離で見てきた久我にとって、ヒー兄は眩しすぎたと思います。理解できないほどの眩さを「訳わかんねえよ」と突き放して、見ないようにしてきたのかなと。
しかし、ヒー兄の輝きは久我を確実に蝕んでいて、ある時久我は「愛すること」を受け入れます。そこからヒー兄と久我の関係はまた少し変わったように見えました。
それが後半のヒー兄と2人のシーンで明確になってるなと。

久我「今、友達と海」

映画「 i ai」より



久我演じる永山瑛太さんと森山未來さんはウォーターボーイズ以来18年ぶりの共演です。
フレッシュな俳優陣が瑞々しく輝くスクリーン内で、この2人のシーンは圧倒的な存在感と説得力があります。俳優さん同士にしかわからない何かが確実にあったのだと思わざるを得ないシーンばかりです。

生きることと死ぬことと愛すること

この映画は1回見ただけでは全てを理解することはできません。私も、この映画を10回以上見ましたが、全てを理解している自信はありません。
ただ、この映画が伝えたいことは生きることと死ぬことと愛すること。その難しさと、美しさ、尊さ、残酷さ。そんなことが伝えたいんじゃないかと思いました。優しくて、激しいそんな映画です。
生きることと、死ぬことと、愛することをこの映画で表現する中で欠かせないエッセンスがいくつかあります。
そのうちのひとつが、海。
兵庫県明石市を舞台に撮影されたこの映画は、明石で撮影することに森山さんやマヒト監督がこだわったようです。でも、それは作品を見ると納得できます。
海は作品の中で死生観を表現するキーになっています。
海から命を与えられ、海に還る。作中で描かれる生きることと死ぬことはその前提のもと描かれています。愛することの根幹は生きることと死ぬこと。それを海と共に描く、その為の明石の海。輝き、命と共にあることを伝えてくれています。
最初は千葉での撮影も検討されたようですが、きっとマヒト監督が想像した海の画は明石のこれなんだろうなと。
もうひとつのエッセンスが、音楽。
マヒト監督が大切にしてきた音楽は生きることと愛することの表現。ヒー兄とコウを音楽と共に生きる人物として描くことで、音楽を奏でるその時に血が通った人物になっていきます。特にヒー兄は音楽を奏でていないシーンでは、ある種生死を超越した存在のように感じることもありますが、ライブのシーンでは強烈に生きてる血の通った人間であることを思い知らされます。それが映画の冒頭で描かれることで、ヒー兄が絶対的に生きているカリスマであるということを我々観劇している側は知らされるのです。
コウもまた、作中でキラと組むバンドの練習シーンがあります。青春ってこういうことなんだろうなと、思わせられる命の輝きが眩いシーンです。音楽としてめちゃめちゃでも、音を合わせることに楽しさを感じている、バンドの原点のようなものを見せてくれるコウの演奏シーンはきっと見た人もバンドをやりたくなることでしょう。
さらに、この作品では色が印象的に使われます。
マヒト監督の赤、海や空の青、雲の白
それぞれの色に明確な意味があり、印象的に使われています。この色については見て考えたほうが映画としては面白いでしょう。
映像で見せる、表現するという点において色の使い方は素晴らしかったです。
作中では明石の海をはじめとするとても美しいシーンがたくさんあります。写真家の佐内さんだからきっと撮影できたと思います。
強烈なメッセージと共に映像美を噛み締めてください。

もう一度逢うこと

映画はフィクションです。だけど、この映画はフィクションと現実の境界を曖昧にします。
現実にあったことではないけれど、確かにここにあってヒー兄は生きていた。
愛して愛されること。それを感じさせてくれる、そんな映画です。
最後の最後に見ている側は、スクリーンの向こう側にいるただの観劇者からスクリーンの中に引き摺り込まれます。それがどれだけ愛おしいことか。
この映画のタイトル「i ai」は「相逢」と書きます。もう一度逢うという意味が込められています。生きること、死ぬこと、愛すること。それらが全て「相逢」に込められているのではないかと思います。

この作品を作り上げたマヒト監督、平体プロデューサー、撮影佐内さん、主演の富田さん。「i ai」に関わった全ての人に感謝の意を込めて。そしてまだ「i ai」を見ていない全ての人に愛を込めて。

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