発達障害児だった私の小学校時代──最低な教師と、失われた自己肯定感
私はK県F市出身。プロフにもある通りADHDで、精神科の先生曰く小学生の頃からうつだった。
当時は「発達障害」なんて言葉はまだメジャーじゃなくて、宿題を忘れる子どもは怠け者扱い。もちろん、やらなくていいと思って放棄してたわけじゃない。「やらなきゃやらなきゃ」と思いながら、やらないまま時間が過ぎる。今もこの後回し癖に、ずっと苦しめられてる。
親からも怠け者認定されて、3人姉妹の真ん中だった私はほぼ見放されてた。
姉は3上で割と勤勉な方だったと思う。妹は6下で賢い子だった。遅くに生まれた子だからかわいいわな。
学校には私の人生を狂わせたと思っている教師が2人いた。
◾️小3の担任 M田S
• 忘れ物したら、教卓の隣に立たされる。
男女2人で立たされてた時、「なに見つめ合ってんだよ」って言ってきた。いや、見つめ合ってないし。
ただの罰で並んで立たされてるだけなのに、教師が勝手に茶化してくる。しかも、それを笑いながら言う。子どもがどう思うかなんて、一切考えてないんだろうな。
もっと酷いのが、社会の授業での出来事。戦争孤児の話をしていた時、お調子者の男子が「こじき」ってボソッと言った。当然、その発言はよくない。でも、相手はまだ小3の子ども。それに対してM田はキレて蹴り飛ばして怒鳴った。「なりたくてなってんじゃねぇんだよ!!!」
そりゃそうだ。私も定型発達だったらどんなに良いか。話が逸れた。いやいや、普通に犯罪だよね。暴力教師!今だったら確実に問題になるやつ。
その男子も悪いけど、今なら完全アウトでしょ。
◾️小4の担任 S藤M子
•宿題を忘れた人は、机ごと後ろに移動。そして、「この人たちの存在は無視しましょう」ってクラスメイトに言った。つまりクラス全員に「無視しろ」って命令してたのだ。これ、もういじめの指示。
宿題を忘れたら、人権を奪われるシステム。
これも今なら確実に問題。
さらに、次の年には1年生の担任になっていた。たまたま廊下を歩いていた時に、見てしまった。宿題を忘れたりしたであろう1年生が机ごと廊下にいた。でも、子どもの私には大人が悪いなんて思ってもいなかった。
「自分が悪いんだから、罰を受けるのは当然」 「みんなに無視されるのも、自業自得」
当時このように言語化していた訳ではないが、そのように感じていた気がする。
そもそも、宿題を忘れるのが悪いっていう前提もあったから親に言えなかった。
でも、今思う。周りの他の教師たちは、何も言わなかったのか?
これらを見た子どもたちは親に言わなかった?言われた親は誰も学校に文句を言わなかった?
今、M田SとS藤M子は60〜70歳くらいだろうか。のうのうと老後を満喫しているのか?
もしかしたら再雇用なんかでまだ子どもと関わっているのだろうか。
いままで何人の子どもの人生をめちゃくちゃにしたのか?少なくとも、私は今でも彼らのせいで生きづらさを抱えている。
ふとした時に思い出す。自己肯定感を奪われたことを。
時代は変わっているようで、今そういう教員は化石レベルだろうし、発達障害の子たちのサポートはかなり広がっているようであるが、それでは我が子を安心して学校に送り出せるかというと答えはノー。
法に触れないようなギリギリの方法で子どもを追い詰める教員もいると思うし、当時の私みたいに「大人が正しいから」「自分が悪いんだから」と思い込んで声を上げられない子どもは、まだたくさんいると思う。
少しでも多くの子どもが「できない辛さ」を理解してくれる大人に囲まれて、たくさん助けてもらって、自己肯定感を育ててほしい。
例えば宿題が苦手な子は放課後に教室で宿題タイムなどの環境を作ってあげて欲しいな。
こういう子は環境が整ってたらちゃんとやるかは多いと思う。
もう、私みたいな子どもが増えませんように。
あとがき
これを書いてて、正直しんどくなった。でも、こういう話はどこかで残しておきたかった。もし同じような経験をした人がいたら、「あなたが悪いんじゃないよ。」って言ってあげたい。
私も、誰かにそう言ってほしかったから。