変わるということ
「待っていても情報は入ってこない、待っていて入ってくるのは古い情報だけだ」
情報とは生き物であり、新鮮であればあるほどその価値が高い。
ビジネスにおいても同じであり、特に営業コンサルティングではクライアントに信用されるポイントして非常に重要なものである。
ただ顧客の中でもタチが悪いのもいて、決まってそういう人はフリーライドが当たり前、Give & Takeの精神などゼロ、もらって当たり前の時代遅れのCrazy guyだ。
そういった顧客は情報のみならず、値段交渉でも「サービスが最高で値段が最低」迷うことなくこれ一択である。
「値段は下げろ、サービスレベルは維持、もしくはあげろ」という本当に頭は大丈夫なのか心配になるが、恐らくこれは特に現状の日系企業のアタリマエであり、売る側も買う側も完全に麻痺していて、本当に値段を下げてサービスを維持することに躍起になっている。
これまたタチが悪いのがそれで受注して「よくやった!」と褒める上司が99%を占めている(自分調べ)
これはなぜかを考える上で避けて通れないのは、日本の失われた30年だ。
給料も上がらず30年間耐え続け(最近になって漸く物価が上がり始めたものの)その結果、変化することへの恐怖心、変わることへの強烈なアレルギーを生み出した。
日本社会全体が"変化は悪いこと"という認識になってしまった。
「牛丼も300円が当たり前、値上げなんて狂ってる」
「外国人の店員が増えた、日本語話せ、サービスレベルを変えるな、値段は安くしろ、時給も安くだ」
前に進むことや変わることを恐れ、時代についていけなくなった日本は、世界のリーダーは愚か、アジアでも安い国に成り下がった。
それでも変わることのできない事、サービスレベルは維持することへの義務感あるいは美徳は変わらず、街はキレイで治安は最高、交通手段の時間は正確、銀座のような都会であっても一定の静寂があり、全てが担保されている。
その昔は、日本人がアジアへ強い円を見せつけ爆買いをしていた。
エンパイヤステートビルだって買った。世界一周ツアーが当たり前、クイズ番組の懸賞は豪華海外旅行や宝石、恐らくそんな夢のような時代はもう来ない。
日常生活でもビジネスにおいても、当たり前になっていることや固定観念に捕らわれている事はないだろうか。
お金はないけど貯金しなければいけない、借金は悪で離婚も悪だ、転職は興味あるけど怖いし、奥さんにどうやって説明するか、家族がいるから身動きがとれない・・・など
アメリカの80代以上の老人へのアンケートがある。
質問「人生で最も後悔していることはなんですか?」
1位:チャレンジしなかったこと
2位:他人がどう思おうが気にしなければよかった
3位:幸せをもっと噛みしめたかった
4位以降もあるが、大半がやればできたことをしなかったというものだ。
人生は一度きりだ。誰になんて言われようが、死は等しく全員に訪れる。
死のその瞬間が自分の人生のアガリであり、やり残したことはないか、、そんなことを考えてあの世に行きたくないものである。