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ポップコーンは買わない派です。vol.95

愛・アマチュア

プロであることアマチュアであること

愛をプロが表現する仕事、それはアダルトビデオだったり、官能小説だったりするわけだ。

本作に登場する2人の女性。

イザベルとソフィア。

ソフィアは13歳からアダルトビデオに出演させられていた立場として登場。

イザベルはもともと修道院の元尼僧であったがポルノ作家になった。しかし、人々を興奮させるための表現ができずに編集者からは小言を言われていた。それはつまりプロの仕事ができていないということ。

プロの仕事は需要に対して合格点に達している品を確実に供給し続けお金をもらうというところにあると思っている。

それがプロでやっていくということ。

一方でアマチュアはお金を重要視しない、つまり職業ではなく趣味として行うものごとのことを指す。

「愛」を表現するということに対してプロ的な発想でいうと、詰まるところ性的な興奮をさせることに重きをおき、その需要を満たすための表現を用いて作品を完成させる。

それと対をなすアマチュア的発想として考えらるのは、好きな人とするアレだろう。

自分自身がセックスするということは、子供を作る以外の目的であったら性的欲求を満たすという目的に過ぎない。

その相手をいたわって、互いに愛し合って行うことこそが初めて本当の意味でのセックスとして成立すると私は考える。

子供を作るという目的を抜きにしたら生産性のないことだけれど、愛の表現としてこのアマチュア的表現は決してお金には変えがたい価値を生み出すことのできるものとして対比構造になっているのではないか。

愛には、立場は関係ない。

主人公のトーマスは犯罪組織にいたことを記憶喪失で忘却している。

だからこそイザベルはトーマスを愛せたのではないか。

立場による肩書きで物事を判断するのはある種プロ的な視点かもしれない。でも本当はその仮面の奥をみた方が、美しさはあるよねって話。

でもお金はないと苦しいよね。

だから、プロフェッショナルであることと同時にアマチュアであることも重要であるということをイザベルは一連を通して学んだんじゃないかなって思った。


ハル・ハトリーについて

あなたはご存知?

90年代のミニシアターブーム。

私は97年生まれだからそんなブームがあったことなんて知るよしもなく生きてきた。

そんなブームの中で、名前をひときわ轟かせていた人物がいる。

その名は、ハル・ハトリー。

突発的な演技とシュールなセリフ回しが特徴的で、そのインディぺンデントならではの作品作りがミニシアターブームと相成り、多くの映画ファンに愛された。

とかなんとかいつつも、彼のことを知ったのはつい4日前のことである。

私がほぼ毎日のように聞いているラジオ番組、

「アフター6ジャンクション」

このスピンオフ的な番組として、Spotify限定のポッドキャスト番組がある。

それが「別冊アフター6ジャンクション」

週に一回、本放送では入りきらない話や駄話、ネタバレ前提トークなどをSpotifyの会員限定で聴くことができるのだ。

んで、それの先週アップされたエピソードがこちら。

パーソナリティのライムスター宇多丸と映画ライターの村山章がハル・ハトリーについて語らう内容の1時間。

正直、この放送を聴くまで、ハル・ハトリーという名前すら知らなかった。⇦

ミニシアターブームを知っている人間はもしかしたら知ってて当然なのかもしれないが、後追いでハル・ハトリーを知ってる人ってあまりいないんじゃないかな。

インディペンデント作品はシネマコンプレックス(以下シネコン)でかかる作品とは対をなす存在である。

以前、ジム・ジャームッシュ作品の感想もアップしたが彼とは属性の近い存在であったとされている。

「ポスト ジム・ジャームッシュ」

このように評されていたこともあるようだ。

さて、アトロクの放送の中でハル・ハトリーについて色々語られていたわけだが、正直その存在を初めて知った人間にとってはどんな人だったかとか、周辺のエピソードに関してなかなか耳に入ってこないもんで、

まずは作品見るしかないか〜と思っていた矢先、

U-NEXTでハル・ハトリーの7作品が配信されているということを番組内でしゃべっていたので、

早速観た。

それが「愛・アマチュア」である。

これは4番目に制作された作品で、そんなことは知ることもなくU-NEXTさんが並べてくれたランキングの最上位にあった本作をなりふり構わず再生した。笑

極端な話をすると、インディーな文化に傾倒することへの優越感、あまり周囲の人間が知らない情報を自分が持っているという自己満足な気持ちが私の中に渦巻ながら鑑賞したという状況もあり、正直作品自体の理解が追いついてないのが現状である。

これは単純な話ではなくて、考えずに感じるんだというパターンとちゃんとギミックがたくさん隠れていてそれをちゃんと把握した上で理解したとするパターンとある。

全くギミックがないということもなかなかないので、教養が必要な場合も大いにありえる。

ハル・ハトリーの場合は考えずに感じるんだという気合いで臨むのがもしかしたら良いのかもしれないと思っている。

村上章さんのネット記事でも

ハートリー映画の特徴は、登場人物が振り付けのように画面中を動き回り、一定のリズムに合わせて半ば独り言のようなセリフを放つことにある。会話が成立しているのかいないのか、なんとも宙ぶらりんな感覚にとらわれるのだが、最後には思わぬエモーションが立ち上る。一筋の風が吹き抜けるようなその瞬間に、観客はかけがえのない映画に出会ったのだと気づく。ハートリーとはそんな監督なのである。 

引用:https://hominis.media/category/cultural/post609/

このように述べている。つまり前者の解釈で間違いはなさそうだ。

本作でも変に滑稽なやりとりやセリフの不自然さを感じる場面はチラホラ見られた。

なんとなく不安定ながらも物語は進行してき、最後のあのシーンで強制的に終了したのが、良くも悪くもない終わり方でなんとも言えない感情に陥った。

お酒をちびちび飲みながらボーーっと観ていたい、そんな作品だった。

まだ他の作品もあるのでそれらを観てみないと語れない部分も多そうである。

ハル・ハトリー作品はリュック・ゴダールの影響下にあるらしい。そういった影響がどの部分にあるのか。ゴダールのこと知らなくてはいけないし、

ジム・ジャームッシュ作品との関連性はどのくらいあるのか、など知らなくてはいけないことが多くて、本作自体の感想がろくに書けていませんが、

愛・アマチュアをひとつの起点として多角的に作品をみれたらいいなと思う。



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