ポップコーンは買わない派です。vol.42
家族を想うとき
豊かさとは、幸せに生きるには。
予告編
あらすじ
イギリス、ニューカッスルに暮らすターナー家。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立した父のリッキーは、過酷な現場で時間に追われながらも念願であるマイホーム購入の夢をかなえるため懸命に働いている。そんな夫をサポートする妻のアビーもまた、パートタイムの介護福祉士として時間外まで1日中働いていた。家族の幸せのためを思っての仕事が、いつしか家族が一緒に顔を合わせる時間を奪い、高校生のセブと小学生のライザ・ジェーンは寂しさを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう。
はじめに
みなさんはなんのために生きてますか?生きる意味、人によって様々だとは思いますがそんなこと考えたことねえよって人も大勢いると思います。
とりあえずお金稼いで、
彼氏彼女と遊んで、趣味のカメラのレンズ買ったりして、旅行に出かけてみたりするわけだ。
家族を持つ人間にとっては子供の成長のために、家族で幸せに暮らしていくために毎日懸命に働くことが生きることだということ。
この映画に登場してくる家族は一人一人が各々のやり方で家族の幸せを思って懸命に動きます。働きます。
しかしどうやってもうまくいかない。
よく努力は必ず報われると言われいますが、ここまで報われないこともあるのかと思ってしまいました。
社会システムこれで大丈夫??
私はこの作品を通して思ったのは原因は社会のシステムに問題があるのではないかと。
作中にも登場する父リッキーと母アビーは
どんなに働いても会社や社会からの搾取が原因で手元にはほとんど残らなかったりするわけ。かなりの激務の割に。。格差ももちろんあるのだと思うのだ。
そんな姿を見ている子供たち。(兄貴セブと妹のライザ)兄貴はそんな親たちを見てなのかはわからないけれどストリートアートで社会に対しての抗議を示している。
これは世間体ではあまり良い目では見られない。そもそもそれがおかしいとは思うのだが。。警察にお世話になったりと親たちを困らせていた。
本当は社会システムへの抗議は父母のためであったのかもしれないのに。そこですれ違いが生まれて家庭崩壊にまで迫られる。
最近でも検察庁法改正云々の問題でネットが大変盛り上がった。
政治や社会への批判というのはネットとかを見ていてもあまり良しとされていない見方が見られることがある。しかししれは全くの逆である。
おかしいと思ったことには素直に声を上げるのがセオリーであってそこに芸能人が絡んでいるとかインフルエンサーが絡んでいるとかはむしろ議論を呼んで世論としても強いものとしてリリースされるので、いいことであると思うのだ。
お兄ちゃんの行動はナイスだったんだけどもう少し素直になれればということと、もっと世間に伝えるために他のやり方があったんじゃないかなって思う。
ハッピーエンドではないからこそ考えるきっかけを与えてくれる
この映画の見所は
だんだんとひとつの家族が壊れていってしまうところだ。
人聞きの良くない言い方かもしれないが正直なところハッピーエンドとは言えないなんとも考えさせられる系のエンディングとなっているために余計にあの時にこうしてればとか社会のことを考えたりとか様々な原因を探るきっかけを与えてくれる内容であると思うわけだ。
同時に物質主義の悪いところが浮きぼりになってくるわけだね。どんなにお金を得ても、家を買っても、車を買っても豊かさの本質はそこにはないということがわかってくる。
本質的な心の豊かさ
ここまでくるとミッドサマーとも繋がってくる部分があるんじゃないかな??
↓ミッドサマーの記事はこちらから
ミッドサマーでの村の人々の暮らしは実に自給自足的な生活。一見貧しそに見えるが全く心は貧しくないのだ。助け合える仲間、家族、食事の喜び、生命の喜びを彼らは十分に感じながら生きている。
そことは真反対にいる私たちの都市的な暮らし。今やどこの田舎でもどんどんと都市化が進んでいく。それと同時に本質的な豊かさというのは奪われていくのだ。
だから好きな音楽をじっくり聞いたりとか映画を見たりとか読書をすることは心の豊かさを維持するためには必要なことだし、それと同時にインプットしたことをアウトプットしてプロダクトを作り上げることも自分の糧として、未来の豊かさ貯金として年金よりも大切な積み立てになること間違いないだろう。
最後に
いかがでしたでしょうか。私はこの映画を見てこれは日本も該当する問題だと思ったし、自分の家族のことだけじゃなくて周りの地域の人間にも働きかけていくべきことも豊かさの獲得のために必要なかもなって思った。物質主義の遺産(ゾンビ)にならないように気をつけたいですね。