小学生の時に死ぬかと思った話
私は小学6年生になるまで、大きな病気をしたことは無い。
水道管に頭を打ちつけて大変なことになったことがあるくらいで、病気というものにはそんなに縁がなかった。
溶連菌に感染したものの、そこまで重症ではなかったし私が子供の頃に流行した0-157にもかからなかった。
そんな私だが、12歳の時に大きな病気で1クールほど大変な目に遭っていた。
まあ、1クールくらいで済んだし、今はこうして生きているしそんなに重たい話題ではないので気楽に読んでほしい。
私は小学4年生の夏に埼玉県の某市から某市……まあ、一つ隣の町だが引っ越すことになった。
原因は父の事業の失敗(社長なのに営業活動が嫌いで勉強も嫌いだったので残当である)が原因で、そこそこ広い家を手放して父は就職をすることになったためである。
私たち紡木家が引っ越した家というのは築30年を越えるもののそこそこ綺麗だが古めかしい家であり、壁の隙間から風を感じるような家だ。
父が「すぐに建て直して3階建ての綺麗な家に住まわせる」という宣言をしたし、その直前に住んでいたマンションという名のアパートよりは遥かに綺麗だった。
隣町だということで私は転校する羽目になってしまったが、あまり気にしていなかったし「時期外れの転校とか、なんかアニメみたいで面白そう」くらいに構えていた。
しかし、妙に面倒臭い性格かつ距離の取り方が分からない性分であったせいもあって速攻で嫌われてイジメの標的になってしまった。
まあ、同時に愉快な友達ができたお陰で時々(理不尽な)暴力に晒されながらも元気に生きていた。つもりだ。
そしてもうすぐ進学というタイミングで私の身体は唐突に調子を崩し始めた。
小学6年生の7月ごろ、ちょうど夏休みに入った頃から咳が止まらなくなった。
エアコンの当たりすぎか、汗を適切に拭かなかったからか当初は単なる夏風邪なのだと思っていたが咳き込むと背中に激痛が走る。
いくらなんでもこれはおかしい。熱も上がってきたし、顔から首周りにかけてパンパンに膨らむという明らかに異常な状態だ。
母はとりあえず、近所の小児クリニックへと私を連れていったがそこの医者は「おたふく風邪じゃね?」などという。
いや、首の周りを押してみるとぶにゅぶにゅという不快な感触があるというのにそれを「おたふく風邪」などと断定していいものなのか?
薬をもらってしばらく安静にしてみるが、咳き込むたびに背中に激痛が走る。
家庭の医学的な本にも「おたふく風邪」の症状には当てはまらない。
熱があまりにも下がらないし、今度は軽く動くだけで息切れを起こすようになってきた。
これは、肺になんらかの異常が起きているのでは?
母が休みの日に私は市立病院へと連れて行かれた。
私もいい加減熱が下がらずしんどいので病院に行くのも吝かではない。
私は病院というのは嫌いだ。なぜなら薬くさいし、待たされるし、待たせるくせに娯楽がない。
私は母の運転で車で病院へと向かい、病院で降ろされよろよろと力なく受付へと向かうと1人の看護師に呼び止められる。
まあ、尋常な状態ではないだろうと声をかけられ簡単に自分の状態を説明すると看護師は私を車椅子に腰を下ろさせた。
・老人のように腰を曲げている小学生
・歩いているだけなのに息切れを起こしている
・なんか首の周りから顔が浮腫んでいる所の騒ぎではない
・熱のせいか顔が非常に赤い
こんなの尋常ではないと看護師さんも察したのだろう。
私は受付より奥の薄暗いフロアで色々な検査を受けた。
検温、心音、胃カメラ、エコー検査etc……コンディション最悪の状態ながらよく頑張ったものだ。
とはいえ、病院に来るとそこまで体調は悪くない。これに私は引っかかりを覚えたのだがその引っかかりが答えを出していたのだった。
「即入院ですね〜」
検査を受けてから数時間後、メガネをかけた男性医師が私と母に告げた。
母「そんなに悪いんですか?」
そりゃ悪いだろ、どう考えても通院ってレベルではない。
などと、言おうと思ったが疲れ果ててそれどころではなかった。
医師「着替えとか簡単な娯楽品とか本人に必要なものを用意してください」
入院、いよいよ漫画みたいな展開になってきたわけだが……やはり大半の人が嫌がるようにそんなにいいものとはいえなかった。
娯楽がない、テレビは有料(テレビカードなるプリペイドカードを購入、それをテレビに装填してようやく視聴できる)、あとは寝るしかない。
幸い、自宅にあったゲームボーイカラーを母が持ってきてくれたのだが……このゲームボーイカラー、電池式であり100均の電池とかだと10時間ちょいくらいしか電池が保たない。
ゲームボーイカラーは説明書によると20時間駆動のはずだが、なぜか100均クオリティだと長持ちしないのだ。
まあ、この入院生活は話すと非常に長くなってしまうのでがっつり割愛しよう。
さて、私はこの1回目の入院から約3ヶ月ほど苦しむことになる。
私がかかったこの病気、肺が非常に弱っているということ以外何も理由が分からないのだ。
とりあえず解熱剤と抗生物質を投与してしばらく様子を見てみよう!
と、様子を見てみたらなんか元気になったので退院というのを3回ほど繰り返した。
そして、3回目の入院で「ちょっとウチでは分からないですね……」と、医者が匙を投げてしまい私は小児医療専門の大きめな病院へと床を移すことになった。
で、小児専門病院でも「ちょっと知り合いに思い当たる節があるっていうので診てもらおう」と都立の医大に連れて行かれることになった。何故か救急車で。
他に乗り物無いんだろうか?
その医大の偉大な先生は会うなり「本当に珍しい病気!」「日本だとまだ広まったばかりじゃない?」「何かあったらすぐに来てね!」と、優しいというよりは好奇心を剥き出しにされたのでちょっと怖かったのを覚えている。
が、その先生が病気の原因とその正体をあっという間に特定してしまった。
過敏性肺臓炎
簡単に言ってしまえば、舞い上がってきたカビに対して過剰に反応を起こしてしまい体がバグってしまうのに加えて肺が侵入してきたカビのせいで硬化してしまうというものだった。
当時、私の体の中には通常の数百倍のカビが住んでいたという。
で、病院に入院した途端に私が元気になったのは病院に病原体となるカビがいないからである。
どうしてそんな一気に私が体調を崩したのかというと……そう、自宅の環境が原因だ。
私の自宅は日当たりが悪いせいか、土壌がカビで汚染されていた。
そして、経年劣化した畳のせいかカビが舞い上がって私はカビをものすごく吸い込んでしまったというわけだ。
当時、1階の一番古い畳の間で寝ていたというのが大きいだろう。
母「フローリングに張り替えるしか無いかな」
医者「カビの生えた土壌であれば石灰を撒けば死にます。なので、これでもかと石灰を撒いた上でフローリングに張り替えましょう」
案の定、私は病院で元気になったので退院となったわけだが自宅に戻るわけには行かないので福島県の田舎に預けられることになった。
遅れていた勉強を少しでも進めなければいけないので国語・算数・理科・社会とあらゆるドリルを手に、ほんの数週間田舎に滞在した。
何故か乗り気になってしまった親戚のおばちゃんが必要以上に勉強を進めようとするので、学校に復帰したら未来予知者みたいになってしまった。
10月末、私は自宅へと戻り学校に復帰した。
何故か必要以上に性格が明るくなっていたらしく、脳に酸素が行き届かないせいでとうとう壊れたのかと疑われることになるがそれはまた別の話。