#007_掴み取るというより│ロングトレイル
AT、あちらです
考えてみればごく自然な流れ
いつの頃か誰かが「引き寄せの法則」が云々…と言っていたのを思い出した。ネット検索すると何やら小難しい(アヤシい)話が色々と出てくるが、思うにこれは我々人間にとってはごく当たり前の事象だ。
要するに、人が何か特定のことに着目すると関心は自然とそちらへ向かい、意識的・無意識的に拘わらず情報を収集するようになり、行動様式が変化していく。それに伴って活動領域は広がり(ときには狭まり)、構築される人間関係も影響を受ける。
そして何事かの決断を迫られたとき、その時点で条件的に選択可能なカードを、それまでに蓄積した知識や経験も判断材料として、自らの意思で取捨選択する。
また、自分の考えや願望を予め周囲に伝えておけば、中にはいざというときにアドバイスをくれたり手伝ってくれる人も出てきたりして、結果的に理解者・協力者を得ることになる。
味方や仲間が増えればモチベーションも上がって次の行動を起こしやすくなる。たぶんそれだけのことなのだ。
リアルハイカー show case
東京・三鷹で2016年から続いている「LONG DISTANCE HIKERS DAY」。ロングディスタンストレイルを歩くことに興味のある人や、実際に歩いた経験のあるハイカーが集まり、毎回大いに盛り上がるイベントである(2022年の様子①、②、③)。
第2回目となる2017年。国内トレイルのトピックスで信越トレイルクラブ事務局がハイカー同士やハイカーと地元の人たちとのつながりについて実例紹介するとのことで、前年に自分がスルーハイク中に経験したトレイルマジックの画像を提供してほしいと依頼された。
断る理由も無かったので快諾し、せっかくだからイベントにも参加してみた。会場には大勢の客がいて、1月というのに熱気ムンムン、みな夢中になって登壇ハイカーたちの話に耳を傾けていた。
受付でもらったタイムテーブルを眺め、当然のごとく「AT」の文字を追う。ちょうど次のコンテンツに「夫婦で歩いたアパラチアン・トレイル」を見つけた。迷わずブースを訪れると、そこには仲睦まじそうな鈴木夫妻がいた。
リアルなATハイカーなのに想像していたよりもキレイだなぁと感じたのは、もちろん比較対象がドキュメンタリー番組で見たあのハイカートラッシュたちだったからだ。
とにかく訊いてみた
話はお手製の紙芝居をベースに、ATを選んだ理由や、2人でどんなふうに歩いたか、ギアのこと、トレイルフードのこと、思わぬアクシデントについてなども併せて丁寧に語られた。
その中で最も気になったのが、奥さんのご両親にAT行きを承諾してもらうために「プレゼン資料を作った」ことだった。
自分もまずは両親を説得しなければいけないが、果たしてどうしたらあの絵に描いたような昭和の頑固(で心配性な)親父の首を縦に振らせることができるのか、全く以てアイディアが浮かばずにいたのだった。
鈴木夫妻の紙芝居が終わり大きな拍手。客たちは次々と席を立ちまた別のコンテンツへ移っていく。片付けをしていた奥さんに思い切って声を掛けてみた。
「実はATを歩きたいんです。」
誰かに向かってこのフレーズを口にするのは初めてだったのでとても緊張したが、奥さんは嬉しそうににっこり笑って「本当?!いいじゃん、楽しいよ!」と返してくれた。
どうやってご両親に話しをしたのか詳しく聞かせてほしいのですが…と恐る恐る尋ねると、例のプレゼン資料を一式データで送ってくれると言う。なんと親切なのだろう。
連絡先を交換、わからないことがあったら遠慮なく聞いてね、頑張って!と激励を受ける。
ハイカーは普通の人だった
そのあと旦那さんの方にも声を掛け、AT行くのに仕事辞めて、帰ってきてからどうしてるんですか?と、ともすると無礼にも聞こえかねない質問をしてみたが、いやぁ、たくわえを切り崩しながらなんとなくやってるだけど、これからどうしようかねぇ、と明るく答えてくれた。
このイベントで強く印象に残ったのは、鈴木夫妻含め多くのハイカーたちは、身体能力がズバ抜けて高いとか、何か特殊能力を身に着けているとか、そんな感じでは無さそうだということ。それなのに何千kmという想像もつかない距離を歩いて旅してきて、その経験を楽し気に赤裸々に披露している。
自分とそう変わらないように見える、きっと元々は割と普通の人だったはずの彼ら。この足元に刻まれている深い溝の底には何があるのか。
答えは明白だった。決断と実行。彼らは歩きたいと思ったトレイルを歩くと決め、そして歩きに行った。それに尽きる。
この日を境に、自分自身のマインドセットが徐々に変わっていったことを今でもよく覚えている。それまでの「行きたいけど」は、「行くためには」に置き換わり、仕事を辞められそうなタイミングを秘かに窺がうようになった。
とりあえず言ってみた
季節は夏になり、参加した信越トレイルの整備ボランティア。
昼休憩で他の参加者たちも思い思いに過ごしている。気心知れた人たちもいるし、ちょうど良い機会と思い試しに「来年会社を辞めてATスルーハイクしに行こうと思ってる」と発言してみた。
するとみな驚きの声を上げ「すごいね!」「いいね!」と言い、いつから歩くの? どれくらいかかるの? 何を持っていくの? 一人で行くの? 怖くないの? クマはいるの?、と興味津々に質問を投げかけてくる。
そのとき、横で聞いていた整備スタッフYさんがふとつぶやいた。
「でも佐藤さん、初めて飯山へ来たときからAT行きたいって言ってたよね。私がガイドした残雪トレッキングで。」
残雪トレッキングとは2014年4月、加藤則芳さんのことを調べている最中に信越トレイルクラブ事務局のあるなべくら高原・森の家が「残雪期の信越トレイル」というニッチなツアーを主催するのを発見し、ノリで参加したやつだ。
残雪といってもまだ軽く数メートルの雪が山肌を覆い、道標も隠れている状態で、信越トレイルを歩いた実感は正直あまり無く、ただただ非日常の景色に感動した。そのとき案内してくれたのがYさんだった。
「なんてクレイジーなことを言い出すんだってあのときは内心ビックリしたけど、でもその後の佐藤さんを見ていて、本当にこの人はいつかATを歩くんじゃないかって思い直した。やっぱり行くことにしたんだね。」
ツアーに参加した理由を聞かれ、「信越トレイルに興味があるから」と答えた記憶はあるが、当時実現性ゼロだったはずのATスルーハイク願望を他人に話したことなど、今思い返しても全く自覚が無い。
しかし実のところ心の声がうっかり口から漏れており、Yさんはそれを覚えていたのだ。
セルフ洗脳
以降、こんな感じで機会を見ながら、友人ら何人かに伝えた。すると少しずつ「佐藤さん=AT歩く予定の人」という認識が(職場以外で)周囲に広がっていき、全然予測していなかった方面の人から「AT行くって聞いたよ!」と言われて心臓が止まりそうになったこともあったりした。
ちなみに人に話す際、メドが立っているわけでもないのに「来年」というワードを無責任に付け足していたのだが、これがじわじわと脳みそに効いたらしい。口走っているうちに本当に来年行く気分になってきたのである。
するとどういうわけか、長年抱え続けてきた諸々の仕事案件が同時期に落ち着きそうな「隙」がぼんやりと見えてきた。このブラック労働からフェードアウトする千載一遇のチャンスに違いなかった。
そこからはとにかく跡を濁さずに立ち去れるよう、X-dayに向け逆算しながらコソコソと引継ぎ資料を作成していき、間合いを計った。
そうして9月のある晴れた日の朝、通勤のため自宅近くのバス停に並んでいたとき、何の前触れもなく、そしてとても穏やかな感じで、決意がストンと肚に落ちて来た。
来年4月、ATへ行く。
仕事は3月で辞める。
父と母に話をしよう。
(つづく)
※この投稿は「&Green」に2022年11月15日掲載済みの記事を転載・加筆修正したものです。
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