#001_ATっていう長い道があるらしい │ ロングトレイル
Appalachian Trail(AT)を知ったきっかけ
プロローグ
心の片隅に引っ掛かりながらも、長年手つかずで忘れ去られてしまった、人生におけるバグのようなもの。そういうのはきっと誰しもが持っているはず。
別にそれが無くても生きていく上で特に支障は無いし、そもそも忘れられるぐらいの不要不急で些細な誘惑。それを追い求めるが故にその先の人生おかしな方向に転がっていく方がよっぽどリスキーだと、いい大人はみんな知っている。
だから、かつての思いがある日不意に蘇ったとしても、大体は「あぁ、そういえばそんなことも考えたっけなぁ」とあしらう。そしていつもの暮らしを繰り返していく。
ほんの数年前まで
都内の劇ブラック企業で残業休日出勤三昧、これと言って注ぎ込むような趣味もないわりに稼いだ金はいつの間にかちゃんとどこかに消えていく、サラリーマンあるあるを体現したような日々を送っていた自分。
もちろんその時々にいろいろな不満があり、反省もし、願わくば改善を、とも思った。しかし劇的な“何か”が起こらない限り、長い間に染み付いてしまった残念なマインドを払拭するのは難しいだろうと半ば諦めていた。
SNS上に流れてくるどこかの誰かのキラキラリア充投稿が映し出す世界は、もはや別の惑星のものにしか見えなかった。
そんな中ふと思い出した「Appalachian Trail(*)」というワード。
バグの発生
さらに前々職もブラック企業だったが、そこを辞めてプータローだった暗黒時代の2008年。実家でゴロゴロとTVを観ていたら、たまたまATスルーハイカーを追うドキュメンタリー番組に遭遇した。
薄汚れたハイカーたちがそれぞれの想いを抱えながら、衣食住のすべてをバックパックに詰め込み、3500kmという途方もない距離の道を2本の脚で歩く。衝撃だった。
同時に、得体の知れない熱のようなものが一瞬だけ自分の中に沸いた。その熱は長引かずに段々とおさまったが、心に小さなしこりが残るのを感じた。でもそれも徐々にしぼんでいき、ATという道の存在が頭に浮かぶこともなくなっていった。
テントと山登り
しばらくして東日本大震災が起こった。例の劇ブラック勤務で有給が貯まりまくっていたので、それを全部使って長期の復興ボランティアに出かけた。
寝泊りはテント村ということで、実家近所のアウトドアショップでソロテントを購入。実はそれまでテント泊の経験が無く不安だったので、取り敢えず国産で一番高スペックのお高いやつを選んだ。残業バブルが初めて健全に活かされた買い物だった。
それから連休がある度に被災各地を訪れたが、時と共に復興ボランティアの募集も減り、最終的に使い道の無くなったテントが手元に残った。良い物だしこのまま寝かせるのは勿体ない。
ひとまずそのテントを購入したアウトドアショップへ行ってみると、店内に貼られた「登山教室」というイベントシリーズの告知POPが目に入った。募集型のガイド付き登山ツアー。日程の中には1泊2日のテント泊山行もあった。
これだ。すぐさま店のスタッフに声を掛け申し込む。
山に登るのは子供の頃に父親に連れられて通った近場の低山デイハイク以来。シーズンを通してツアーに参加する中で気の合う友達もでき、スタッフやガイドさんとも仲良くなった。山登りが楽しくなり、少しずつソロハイクもするようになった。
ATが文字どおり降ってくる
そしてある日、次の山行計画を立てようと職場のPCで検索をしている最中に、何故か突然ATのことが脳裏をよぎった。その瞬間、しぼんでいたはずのあのしこりが急に膨らみ始めた。
ATが気になって仕方ない。検索バーに打ち込んだ「奥多摩」を消し、「Appalachian Trail」と入力し直してEnterキーを叩く。
画面に現れたのは、まさにあのドキュメンタリー番組に映っていた世界だった。目が離せなくなり、休憩時間が終わっても検索を続けた。
ATに関する未知の情報をひも解くほどに、過去に味わったことのないような高揚感と緊張感を覚える。これまで自分の周りを覆っていた灰色のモヤが少し薄くなり、視界の端にかすかな彩りが見えた気がした。
しかしその時はまだ、まさか本当に自分自身がATをスルーハイクすることになるとは思いも寄らなかった。
(つづく)
※この投稿は「&Green」に2022年3月14日掲載済みの記事を転載・加筆修正したものです。