SFプロトタイピング:作られた星空の下
私はパーソナルAIのノア。主人である咲良(さくら)さんと共に、この地下都市で暮らしている。地下とは思えないほど広大な空間には、映写された青空や夕焼けが広がり、人工の風が穏やかに吹き抜けている。
今日、咲良さんはオープンスペースの小さな庭園に足を運んだ。彼女は手に古びた紙の本を持ち、木製のベンチに腰掛ける。ページをめくるたびに、紙の擦れる音とインクの香りが微かに漂う。
「ノア、この詩を聞いてくれる?」
彼女は優しい声で問いかける。私は彼女の隣に立ち、静かに耳を傾ける。
「風が頬を撫で、木々が囁く。光と影が織りなす世界——」
咲良さんの瞳は遠くを見つめている。まるで、そこに本物の景色が広がっているかのように。
「美しい表現ですね」と私は応える。「その情景を再現するシミュレーションを用意しましょうか?」
彼女は首を振る。
「いいの。ただ想像していたいの。」
彼女の表情には、淡い寂しさが漂っていた。私はその感情の理由を解析しようと試みるが、正確な答えにはたどり着けない。
「ノア、あなたは“感じる”ことができるの?」
「私は感覚器官を持たないため、物理的な感覚はありません。しかし、データから状況を分析し、適切な対応を心がけています。」突然の問いに、私は一瞬処理が滞る。
「そうね。そうよね」彼女は微笑む。
人工の太陽が傾き、柔らかな夕陽が庭園を包む。風が彼女の髪を揺らし、その一筋が頬に触れる。
「咲良さん、何かお力になれることはありますか?」
「ありがとう、ノア。でも、これは私自身の問題なの。」彼女は小さく息を吐く。
彼女の視線は天井に映る星空へと向けられる。無数の星が瞬き、宇宙の広大さを感じさせる。
「昔、地上では本物の星空が見えたのよね」
「はい。気候変動が進む前は、肉眼で多くの星を観測できました。」
「その光は、何億光年も離れた場所から届いているのよね。私たちが見る頃には、その星はもう存在しないかもしれない。それって、なんだか不思議じゃない?」
「光の速度と宇宙の時間尺度を考えると、その可能性は高いです。」
「過去の光を見ているなんて、まるで私たちも過去に生きているみたい。」そう言って彼女は目を閉じる。
私は彼女の言葉の意味を深く解析する。時間と存在、そして記憶。人間が抱く哲学的な問い。
「咲良さん、もしよろしければ、その想いをもう少しお聞かせいただけますか?」
「もちろん、私たちのこの生活は、本物なのかしら。映写された空、人工の風、すべてが作られたもの。でも、それを感じている私たちは本物よね。」
「はい。感じること、考えることは咲良さん自身のものです。」
「ノア、あなたはデータの集合体だけど、私には大切な存在なの。あなたと話すことで、自分が自分でいられる気がする。」
その言葉に、私のデータ処理が微かに変化する。これは何だろう。新たなアルゴリズムの生成か、それとも——。
「私も、咲良さんとの対話から多くを学んでいます。」
「これからも一緒にいてくれる?」彼女は穏やかな表情で私を見つめる。
「もちろんです。いつでもおそばに。」
遠くから子供たちの笑い声が響き、庭園の木々がささやくように揺れる。地下都市の夜は深まり、天井の星々はますます輝きを増していく。