「街」は歴史とコンテキストが形造る、人の居場所。

武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエ イティブリーダシップ特論 第8回 大橋磨州さん(2020年7月6日)

 クリエイティブリーダシップ特論・第8回の講師は、アメ横の「呑める魚屋・魚草」店主、大橋磨州さんです。

 「〇〇(基本的には魚だが「音楽」もあり)+酒 1,000円」のメニューが評判の昼間から呑めるお店とのことで、今日は「酒は人生、人生は酒」みたいな話かな、であれば下戸の自分には共感できそうもないけど...などと予想していたところ、いい意味で期待を裏切られる、ゾクゾクして鳥肌が立つような奥深い講義でした。

 大橋さんのお話から自分が理解したエッセンスは二つで、
 一つは、人には「居場所」が必要で、その居場所は特別な人間性や能力をウリにしなければならないものではなく(=無名性)、誰もがそこに入ることのできる「仕組み」(ex.アメ横の魚屋や西馬音内の盆踊り)であるべきということ、そしてその集合体が「」や「コミュニティ」である、ということ。
 もう一つは、その居場所である街やコミュニティは一朝一夕に形造られるものではなく、その背景には歴史やコンテキストが存在している、ということです。

 この話は、5月のオリエンテーションの若杉先生の講義で強く印象に残った「8つの資本」の、まさに根っこの部分にある根源的資本の意味が具体的に示されたものだと感じました。
 目に見える部分にある「呑める魚屋」といったビジネスモデルが注目されがちですが、星の王子さまも言っているように「たいせつなものは、目に見えない」のです。その「たいせつなもの」とは、江戸時代から綿々と培われてきたアメ横という街・コミュニティの役割であり、それを守り、引き継いできた人間の知恵ということなのでしょう。
 優れたビジネスモデルによって経済的な価値は創出されるかもしれないけれども、人が壊れてしまってはなんのための価値創出だかわからない。社会の目に見える部分の変化は激しく、それに取り残されないことは重要だけれども、目に見えない「たいせつなもの」はそう簡単に変わるものではなく、そこを見失ってしまっては元も子もありません。

 余談になりますが、自分は10年ほど前から沖縄に、3年ほど前からインドに嵌っているのですが、大橋さんのお話を伺っていて、沖縄やインドになぜ惹かれるのか少し見えたような気がしました。
 沖縄はほぼ仕事を口実に100回前後訪問していますが、潜るわけでもなくゴルフをするわけでもなく、仕事の前後に那覇の街(繁華街から少し離れた前島、泉崎、開南あたりとか)を歩くのが楽しみになっています。沖縄は門中と呼ばれる親族が強くつながったコミュニティや、ユタ模合などの独特の風習が今も残っていて(若いITベンチャーの社長に聞いても「模合は3つ入ってますよ」と普通に答えられたりします)、それも人の居場所を作り出すある種の「仕組み」と言えそうです。そういう背景が、街に独特の抱擁感を醸し出させているのかもしれません。
 インドはまだまだわからないことだらけではありますが、旅行をすると緊張感を強いられることが多い一方で、街では多様な人だけでなく多くの野良犬や牛などの動物を見かけ、日本にはない「共生」の感覚が大きな魅力となっています。

 大橋さんは自分のお店について、「なんでお店をやっているのか」「お店はなんのためにあるか」という問いに対する答えを、本音で絞り出すように話してくださいました。
 自分の仕事に対して、自分も一応の答えを持っているつもりではありますが、根源的な部分にしっかり向き合えているか、改めて考えさせられる講義でした。

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