行列ぐーるぐる「中華そば 青葉」中野
青葉、まぎれもなくラーメンの名店、それまではジャンクフードの領域を出なかった日本のラーメンの価格を1000円前後に引き上げた立役者と言っていいと思う。
その昔、警察病院を眺めながら飯田橋駅のちかくを通り過ぎたとき、「青葉」の暖簾まえ、旨そうなにおいに悶絶。15時ころには(スープが残っていれば)お客も減ってくるということで会社を早退して食べに行ったことがある。「それまで」、のラーメンとは異なり、麺もスープも怒涛の味わい深さ。これはこれでラーメンの最高峰と言えるが、本店の味も試してみたいものだと一念発起した。はじめての中野ブロードウェイ。締めに青葉本店でラーメンを食べてやろうという魂胆だった。
今から15年くらい前の話だ。中野ブロードウェイは話には聞いていたが、圧倒的な濃いアンダーグラウンド臭にめまいがしてきたので早々に退散した。目当てはあくまでラーメンだ。時刻は14時半。何とか食べられるといいが…と甘い幻想を抱いてお店に向かった。
そのころの青葉はマスコミにも多く取り上げられており熱狂的なファンもいて大人気。案の定、昼時もとうに過ぎたというのに店の周りには既に人が一周する人だかり。そして、驚くべきことに、店内の座席のすぐ後ろにもぐるりと人が並んでいた。周辺の店舗を慮ってだろうか、カウンター席を取り囲んでとぐろを巻くように、店の内と外、二重に行列が整理されていたのである。
14時半から並んで、結局ラーメンにありつけたのは16時ころ。そして、カウンター席でラーメンをすする私のすぐ後ろに、やはり数時間並んで待っている若者の姿があった。店に並ぶのが嫌いで、めったなことでは行列に加わらないのだが、青葉の行列には文句も言わずに参加してしまった。時代だろうか。
結局、中野店には三回ほどしか行けなかった。あまりにも長い本店の行列に並ぶのが億劫だし、職場が飯田橋の近くにあったので、飯田橋店で済ませてしまった。
ただ、はじめて中野本店に行った時の、白い暖簾と、蜷局状の行列のことは忘れられない。額に汗をにじませながら、換気扇の風にま白いのれんが揺れるのをぼんやりとみていた。まるで走馬灯のように当時が思い出されてくる。
少し濁ったコクのあるスープと、チャーシュー、メンマ、海苔、なると。マンガに出てくるみんなが大好きなラーメン。特徴というと、「あの」タイプのラーメンだが、口に入れると思っているよりずっとうまいということに集約されるのではないか。
今日には、青葉と肩を並べるような美味いラーメン店が都内にひしめき合うように存在している。そんな中にあっても、なおスタンダードな旨いラーメンで第一線に居続けることなど並大抵の努力でかなうものではないだろう。
一方で、人知れずふつうの、やがて消えていくおびただしい数のラーメン店があってこそ、青葉のような店が綺羅星のように輝くことができるのだ。
お客のわたしは気楽なもので。たまさかのぜいたくに旨いラーメンを一杯食べることができれば、それはそれで幸せなことだ。
東京の街に今日も感謝。