今朝、祖父が亡くなった話
本当は別のことをちまちまと書いていたけど、今日感じたことを感じたままに書き留めておきたかったので、このタイトルでいきます。3本目にしていきなりヘビーですみません。後関貴大です。
極個人的なことしか書かないぞ、って宣言してはいたんですが、今回は輪をかけて個人的な話です。あと多分ちょっと暗いです。それでも良いよという方はお読みください。
今朝、夜勤を終えて家に帰ってきたら母親がパジャマで玄関先に立っていた。普段このぐらいの時間だとまだ寝てるぐらいの時間だったので、おわっと驚くと、
「おじいちゃん、亡くなったって」
と、僕に告げた。
母方の祖父が明け方4時頃、逝った。
ここ数年認知症が進行し、癌の疑いが出たり、つい最近圧迫骨折で入院して施設暮らしになるかもしれない、と言われていたので、覚悟はしていた。
実際訃報を母に聞かされた直後は、自分でも引くほど無感情だった。「……そっか」としか言えなかった。
妹が起きてきて、彼女にも祖父の訃報が知らされた。
そのあとすぐ、母は身支度を始めた。長くて2週間、向こうに滞在するらしい。
詳細な地名は避けるが、母の地元は関西方面。本当はきっと僕も行くべきなんだろうけど、このコロナ禍の情勢も鑑みて、残された祖母にリスクを与える訳にはいかない。東京に残ることにした。おそらく我が家で一番外出してるのが僕だからだ。
母は気丈だった。いつもの朝と変わらない、ように見えた。もしかしたら僕が帰る前は泣いていたのかもしれない。
母と仲がとても良かった父方の祖母が、僕が中学ぐらいの頃に亡くなったが、そのときはポロポロと泣いていたのを覚えている。
朝のニュースを無言で眺める。
そのとき、ジワジワと胃の上の方が重くなっていくのを感じて、この出来事をnoteに書こうと思い至った。
これは僕にとっての覚書だ。
出来る限り、祖父のことを思い出して、書き留めて、忘れないようにしたい。このnoteを読み返す度に彼のことを鮮明に心に思い出せるように。
祖父は、戦争経験者だった。
戦時中は学生で、大変だったという話をさわりだけ聞いている。もっと深く深く聞かなかったことを、今、とてつもなく後悔している。
祖父母は僕の知る限り二度引越しをしていて、僕の記憶にあるのは二つ目の家と、現在住んでいる家だ。
二つ目の家の祖父の部屋には、大きなテレビとリクライニングチェア、そして敷き詰められた本棚があった。チェアの前には机があって、灰皿もあった。祖父が吸っていたのはチェ・レッドだった。
……ここまで書いてきて涙が零れてくる。
いつだって居なくなった人と、もっと喋りたかったな、もっと話を聞きたかったなって思ってしまうもんだ。
祖父は、厳しくもないけど優しくもない人、という印象だった。なんというか、ぶっきらぼう?自分の感情をわかりやすく表に出すのが苦手な人というイメージ。それが初孫である僕相手だったからなのかはわからないけど。
晩年、足腰の弱った祖父は他の家族よりもゆっくり歩いていた。
家族で帰省した時、みんなが先を歩いていっているのを見て、僕は祖父と歩調を合わせることにした。そのあとご飯を食べに行ったお店で祖父が心做しか嬉しそうだった気がする。そうだったならいいな。
あーーーー、ダメだ。涙で滲んで画面が見づらくなってきた。
繰り返すようだけども、これは読んでくださってる皆さんの為じゃなくて、僕の為に書いてます。すみません。
僕は死んだ人のことを忘れていくのが一番怖いのです。特に家族や親しい人であれば尚更。だからこうして自分がこれからも見返すであろうnoteに書いています。
涙が収まったから近所の酒屋まで歩いてチェ・レッドを買った。
人気のない裏道に出て携帯灰皿を片手に吸ってみた。上げられない焼香の代わりに。
祖父の匂いがした。また涙が潤んだ。
じいちゃん。
ごめんね、近くまで行ってあげることは出来ないけど、この煙がじいちゃんのところまで届いてたらいいな。今までありがとう。それじゃ。またね。
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