現役教員がSNSを考えてみる
現代の若者を語るにあたって切っても切り離せないSNSについて書いてみます。
学校現場でのSNS関連事件の事例
ニュースや新聞ではほぼ毎日のようにSNS関連のトラブルから発生した事件について目にする。15歳〜18歳の子供たちが集まる高校の現場ではニュースにならないまでも、大なり小なりSNS関連の事件が発生する。今回は一件の事例からSNSもといスマホの利用について考えてみる。
事例
ある男子生徒が意中の女子生徒に対して自分の性器の動画を匿名で送りつける。気持ち悪く感じた女子生徒は様々な手段を使って男子生徒を特定する。しかし、男子生徒は言い逃れのため別の友人からの指示であったと言い訳し、その証拠のDMのスクリーンショットを見せるがそれは加工されたものであった。
結果、学校側に発覚後お互いの保護者を交えて和解に至る。
この事例は大人には見えていない驚くべき内容がある。
まずは自分の性器を意中の異性に送りつけると言う行動について。
リアルな日常生活では絶対にすることのない行為を、まして10代の子供が犯罪まがいの行為を、容易に行えてしまうのがネットの怖い点であることを改めて実感した。
次にそれを特定した女子生徒だ。一昔前までは個人の特定にはパソコンが得意な人が特殊な技術や方法を用いてするものだというイメージがあったが、今やどこにでもいる普通の子供でも個人の特定をできてしまう。どのような方法を用いたかはここでは割愛させていただくが、20代の私でも思いつかない、思いついても実行しない方法で特定を行なっていたとだけ言っておこう。
最後に男子生徒が罪を否定するために作ったDMのスクリーンショット画面。これも最初は教員側は初め加工であることを見抜けなかった。今のアプリは予想以上に巧妙に加工ができる。それこそ罪を消すことも罪を犯すこともできるレベルに。
生徒側の問題点
私の勤める高校ではスマホの持ち込みと休み時間での利用が自由である。そのため生徒は休み時間に入った途端、スマホを出しゲームに勤しむ。授業中でも何度スマホの無断利用を注意したか分からない。
一般的な中高生のスマホの使用時間の平均は3時間程度と言われているが、私の目の前の子供たちはそんな平均値は午前中に超えてしまっているのではないかと思うくらいだ。
それだけスマホが身近にあり、それを介して広がるSNSと言う広大な世界を目の前にしてしまうとやはり、その中に身を投じたくなるのは人間として当然ではあるような気がする。
しかし、その世界は現実世界と変わらない人間が同じように存在していて、SNSと言う社会が存在していること、そしてその中には自分を攻撃するものや毒してくるものがあることをいい加減理解しなくてはならないと感じている。
こんなことを言うと「親や教師がしっかり教えなくてはならないことでしょ!」と叱られそうだが、先ほども言ったように生活の中にネットが常に存在している子供たちが、「ネットは危険です!」みたいな注意喚起やその失敗談などを見たこと無い訳ないと思いませんか?
私たちが言わずとも彼らはその危険性を理解できています。しかしトラブルが起こってしまうのはやはり、ネットの中にリアルな人間を感じにくい現在の構造にあるのではないでしょうか?教師や親が教えるべきなのはそこの感覚なのだ。これが難しい…
教師側の問題
先ほど述べた、ネットの中のリアルな人間の感覚を教師や親が教えられていない原因は、ズバリ教師自身にその感覚がないからである。
教師こそ「SNSは危険!だから子供を守り教育しなさい!」とどんな業界よりも厳しく言われている。
しかし、それでも教師側にはネット社会のリアルな人間を感じられない。一部の教員に感覚はあったとしてもその情報を発信するのはまた、このnoteのようなSNSでしかない。それでは何の解決にもならない。
それほどこの問題は根深い。
次に教員の多くがSNSへの恐怖からそれを利用していない点にある。
生徒のSNS事件。教員のSNS事件。情報漏洩。様々な原因によって教員は極度にネットから距離を置く傾向にある。
その結果、現在のアプリの技術に理解が追いつかず、ネット社会上の高校生の姿が見えていないのです。
なので全て事件が起こってからの後手後手の行動になってしまう。そんなことではいつまで経ってもSNS教育も生徒理解も進んでいくことはできない。
「SNSは怖い!」と言う意識だけでは何も教育できない。
生徒と教員自身がより上手くネット社会と付き合っていくためには、まずは教員からネットに対する意識を大きく変化させる必要がある。
そのためには行政に動いてもらうことが一番早いのだが、それに気づいて行動を起こしてくれる人を待つしかない今の自分には無力感と焦燥感だけが抱かれる。